新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

自己肯定感、満足感

 

昨日は記事を書いた後、別のお友達からも連絡が来ました。急用以外で1日に2人からも連絡がくるなんて珍しく、素晴らしい日でした。彼もまた、イニシャル取るとKくんなんだが、わかる人にはわかるようにKANくんにしようかな。

歌手感が凄まじいが。(古いか?)

 

KANくんは浪人生時代にできた友人だけど、大体何の話をしてもよくわからんなりに素直に受け答えをしてくれるとても気持ちの良い人なのでめっちゃすき。大体突拍子も無い考えは全部KAN氏に投げるとほどよくほぐして返してくれる。天才だな〜。

 

昨日も全てはなるようになるんやと、ありがたい言葉をいただき大変に心が軽やかになりました。本当に人生上確実に2人とは得られない逸材だと断言できるしこれからも仲良くしよう。

 

そのKAN氏に昨日こういう話をしてみた。自分の認識が歪んでいるかもしれないということを疑わない種類の人間がいることが理解できない、と。どうして考えちゃう人と、考えないでいられる人がいるんだろう?というようなことをもっと適当に投げつけたわけです。

 

自分の環境に満足できてると、考えなくなるし、考えるだけ無駄やしって思うこともあると、極端にいらんことにとらわれるようなことはないことはないけれど、良いケツの写真みてるほうがよくね?ってなる。

 

伝わる人にしか伝わらないと思うんだが、これはふざけてないしかなり真実味の強いメッセージだった。これを聞いて私は、あっそっかー…私に足りないのは自己肯定感と満足感なんだ〜〜!と、数ヶ月ぶり101回目の気づきをえた。毎回なんで忘れてしまうんだろうね。いつも、気づいてそれを求めて生活を改善して行こうと頑張り始めるはずなんだが、いつの間にかまたわからなくなってて、オンオン言いながら布団にくるまってみんな嫌いしんじゃえっていってるんだよ。

 

びっくりするわほんま。人生でそんなこともう何回繰り返してきたか。信じられんくらいに毎回すっぽりと足りないものが何なのかわからなくなるまで戻るのはなぜなのか。人生はエンドレスエイトなのか?だったら早くキョン君助けて。

 

自らを肯定していないわけではないんだろうけど、自分のもつ尺度、とくにそれが自分を含むものについてはかるときに使用されるときは、完全に毎日目盛りがブレブレだし、その精度をとても信じられないので、非常に厳しい。常に周りからの評価をきっと公正なものなんだろうと信じることで、自己肯定感の種にしている。満足感は、他人に肯定されたこと、に対して生まれるものになっている。

 

すると、最も簡単で、最大手の輸入先は恋人になるでしょう。私はそれがものすごく嫌だった。自分の生活を保つための道具のようにしているような気がしたし、自分が相手を好いているという気持ちが俗物的なものに成り下がるような気がした。相手のために何かしてもそれは全部結局自分のためじゃん、と思った。開き直ればそれまでで解決なんだが、そういう気分にもなれず。それらが嫌で自己生産を目指した結果失敗して迷走してたんかな。なんかそんなような気がしてきた。

 

自己肯定感を生産できるようになること、自意識芽生えて以来の課題、解決されるときは来るのか。(こい。)

 

これについてはまた今度、ゆっくりまとめてみようと思う。

 

小学校の時の同級生から連絡が来ました

久しぶりにルンルンと記事書こうとしたら、友人のブログが更新されていて歓喜した。趣味は自分語りです。パワーワードだな。

 

今日は三年に一度くらいのビッグイベントがありました。なんと、小学校の同級生からラインが来ました。すごすぎる。

今持ってる連絡先の中で、いついつ同窓会あります(絶対に怖くて行けない)以外で連絡くれる唯一の友達だから、久々に連絡きてめっちゃ嬉しかったね。その人をKくんと以下呼びます。

 

わたしは小学校卒業して地元の中学校には行かなかったので、Kくんとも違う学校だったし、わたしが小学校卒業時点で現代っ子ツールの携帯電話を持ってなかったから六年間音沙汰もなかった。一回だけ道端ですれ違ったけど、話しかけられなかったから奴の記憶からはきえてるものとおもってたけど、高校卒業して浪人生の時にフェイスブックでわたしのことを発見したらしく、その後スタバとか言うおしゃれ空間に呼び出され、インキャワイはとても怖い思いをしながら再会したことが記憶に新しい。でも三年前か。

 

わたしは自分の地元も、地元の人も基本的には好きだけれど、閉鎖的で成長の少ない人々だとも思っているし、自分の記憶が小学校の頃で止まっているからかもしれないが、幼稚な頭の悪い人間が多いように感じてきた。(実際、多くの人はそうだとも思う。)そこから抜け出したくて、いろいろやって最終的には東京に来たけど、やっぱり昔の知り合いから覚えていてもらえるとかなり嬉しいような気持ちになった。

年齢が上がるにつれて、会いましょう会いましょうと言っても実際には億劫になってしまったりすることって多いから、実際に会って喋ってくれた時点で、Kくんに対して、素直な人間なんだなと、好感がもてた。(フラグは立たない)

 

そして、Kくんからまあ三年ぶりに急に元気?とラインが来て、君は元気か?と聞くと元気じゃないよと、失恋したよと言われて、どの世界の人間も、しんどいことがあったら誰かに相談したくなるもんなんだなということがわかった。おんなじなんだなあと。で多分話を聞いてあげるべきだったんだろうけど、相手がわたしの恋人のあることを知りすごい勢いで驚いてきたので何も聞いてはあげられないままに会話は終了した。社会人は早寝早起きだからな。大変だ。

 

でも、その短い会話の中ですっごい驚くべきことがめっちゃあった。あまりにも、わたしに恋人のあることに驚くので、わたしが最近気になっていたことを、聞いてみたわけです。

 

自分の小学生時代を振り返ったとき、いつも、嫌な場所だったような気がしていた。周りの人から敬遠されて、相手にされていないような気がしていた。当時のわたしは文語と口語の区別があまりついていなくて、多分きっとすっごいわかりにくい日本語を話してたんだろうなってことだけははっきり思い出せるんだけど、そのほかのことって、今までしっかり思い出そうとしたことがなかった。

 

つい3週間前くらいに、頑張って小学生の頃のことを思い出してみた。小学生の頃にやってたこと。一番に思い出されるのは、小学校の図書館、あそこの本はすっごい読んだ。その次が地元の図書館、あそこの本もすっごい読んだ。その次に教室、同級生の男子に馬乗りになって遊んだ、申し訳ない。あとは、バレンタイン、渡したかった男の子は一軍男子で気が引けたので手頃な男子にあげるなどした、苦しいな。家の前の公園、男子対女子で戦争ごっことか言って、賞味期限切れのチョコレートを投げつけたら、男子が拾って食べてた(ちなみに女子チームは私と仲の良かった友達の二人しかいなかった)。同じ公園で、6年生の頃、1,2年生と遊んでたら、4年の女子に、そんなちっさい子と遊んで楽しいの?とバカにされた。とりあえず、誰にでも思ったこと全部言って困らせた。算数の時間は誰よりも早く問題がとけた。寄り道してたら母に発見されて道で飛び蹴りをされた。同級生のテレビの話題についていけなかった。

 

とか色々考えてなんとなく、小学生の頃の自分って本当に頭おかしい子供だったんだなと、思った。まあ上に挙げたのを読んでそういう風に結論付くかというとつかないんだけど、その出来事にひっついてくることを全部考えるとそうなるんだよな。

 

それで、話が戻って、今回Kくんからせっかく連絡きたから、小学校の頃の私って圧倒的に頭おかしかったよな?と聞いてみたのです。すると、え?今更?(笑)とっくに気づいてると思ってた、とのお返事。うおーすげえ、やっぱそうやったんか〜〜と衝撃、自分を客観視できるようになるのってすごい。そして次なるKくんの言葉がさらに衝撃。

 

もう成長した?自分だけの世界から抜け出した?(笑)

 

これ怖くないですか、カッコワラついてるけどこの言葉正しく表現されすぎてて本当に驚いた。

 

むしろそう言われて、さっきの自分の記憶読み返すじゃないか、すると、もう見事に基本的に自分がどうしたっていう記憶しかないんだよ。なんなんだよこいつ、まさか小学生の頃からこんなことわかってたわけじゃないよな。と思ってめっちゃ冷や汗かいた。自分だけの世界から抜け出せていますか、その問いに対する答えは限りなくノーに近いであろうことにも気がついてしまって、ますます冷や汗かいた。まあ、抜け出したに決まってらあ、と見栄張った返事をしたけどな。

 

やっぱり自分の本質ってあんまり変わらないし、周りの人に振り返られてそんなにはっきり分かるほど自己中心的なんだなとわかってしまったし、結構ショック。まあそれよりも、小学生当時知性のかけらもなくクソうぜえやつだったKくんがそんなこと言えるようになるくらい成長していたことの方が感動したけど。

 

まだまだ変えるべきところってたくさんあるんだな。変えたい変えたくないに関わらず。

 

今日の記事めっちゃ長い。

 

眠れない

正しくは眠れないのではなく、眠くなって、お布団に入って、意識がなくなるまでの時間に耐えられなくて眠りにつけない。

 

本当にスマホなり本なりを手から落っことして眠る形でしか眠れない。お昼は無限に眠れるのにね。ただ、本を読むには明かりが必要だから、スマホに頼る。切ないし、寝たい。

 

まだ意識がある状態で頭の中を静かに静かに向けて行くことが難しい。静かになるといつもの避けたい思考が最後にのこる。寒気がして、暴れ出したくなる。耐えられなくなって無理やりスマホゲームをする。繰り返し。

 

 

ブログやってください

 

昨日、ふと、自分のブログの記事ってどれが一番読まれているのか?と気になって見てみると、アイドルが好きです、の回が一番読まれていました。何書いたっけ?と思って読み返したら、それな〜〜!!!ってことしか書いてなくて、元気な時のわたしなんだからそれはそうなんだけど、それにしても、自分の文章勢いいいな〜〜と満足してしまいました。

 

自分で自分のブログ読み返して元気になれるって言うことを発見してとてもハッピーです。

 

たまーに、いいね、をつけてくれたり、コメントをくれたり、する方々がいますが(言ってもまだ二回しかない)、はっきり言ってめちゃくちゃにテンションが上がる。返信するのにもドキドキするしほんともっとコメントくれ。

その前にもっとみんなブログやってくれ。ツイッターよりめっちゃ楽しいよ。ブログ始めてからツイッターほんとにいらなくなった。まとまった文章を書く方が得意だし、よく知らない人の情報も流れてこないし、閉じられた安全な遊び場だよ。よくよく考えると、大して親しくもない、多数の人間の生活が見えて楽しいわけもなく、ただただ、人付き合いが苦手な人間にとっては、不安としんどみを募らせるばかりだよ。もちろんそれが良い方向に転んだ友達が増えたこともあったけど、フォロワーが増えれば増えるほどしんどい時間も増えた。価値観の違う人間の意見をいちいち目にして自分のと比べて自信をなくしたり、傷ついたり、することないなと思った、でもなくすと自分の頭の中の些事を吐き出すところがなくなるし、それも困ってた。まとめた長文にすると、いろんなことのつながりがわかるようになった(勝手につなげて遊んでるだけ)。

 

TLにリアルタイムに仲良しが溢れると、それはめっちゃ楽しい時間だし、確かにそれは他コンテンツには変え難いんだけどな。

 

基本的に一人で遊ぶのが苦手だから、みんなブログ書いてくれたらほんとに嬉しい。それか、オススメのブログがあったら教えて欲しいです。

 

 

たまに足あと、いいねみたいなのつけてくれる知らない人いるけど、大抵アフィ立てる人たちだしわたしのユートピアに足を踏み入れるなと言いたい。

どうにかブロックしてやりたいけど、やり方がわかってない。

 

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人と話していないと、つねに心臓がばくばくして、抑えているつもりだけど、抑えきれない。

 

今日はいつもと同じところを歩いていたのに、新しい建物がたくさん見たかった。情報の取捨選択ができていない。スライドを作らねばなのに、教科書を読んでも文字が文字でしかない。意味がわからない。自分の書いた文字も文字のままじゃ正しく書けてるかわからない。声に出さないとわからない。

 

人と話している時は普通。何も気にならない。

 

一人になると全ての音、におい、物が感じられて頭が爆発しそう。やりたいことがあるのにできなくて、取りかかれなくて、悪い意味でドキドキして、どうしたらいいかわからないから。

 

乗り換えしなきゃいけないのに、それも一苦労で、危うく失敗しかける。

 

内外の自分が違いすぎてしんどいし、俯瞰する自分も現れそうになる。

 

今まで適度に暴れて発散してたのを、隠そうとしてるからしんどいのか。自分では元気な人間になった(かつ、今も元気だと)認識していることが誤りなのか。元気じゃないと、思った方が健康になるのか。