女子大生雑記録

日々の面白いこと面白くないこと

microsoft Wordむり

 

幼児の頃はいつも、電気を消して寝ようとすると、水色とピンクとのキラキラが天井に向かってくるから細い螺旋を描きながら登っていくのが見えてて、目をつぶってもずーっと見えてて眠れなかった。これなにーって聞いても誰も教えてくれないし、なくならないし、すっごいイライラしていた。その頃よく見た夢は、ツルツルのカバーに包まれたウレタン、ミシュランのキャラクターみたいなやつ、が、遥かな高さの壁となって両側から私を挟んでくる夢、いたくはない強さなんだが締め付けてくるのでそこから抜け出せなくてすっごいイライラして目覚めていた。どちらも、小学生の3年生くらいまでは毎日見てた気がするんだけど、今は2年に一度くらいしか見えない。

 

自分を客観視するっていう行為を認識したきっかけは、小1の時、自分ではこういう(^∇^)顔で写真を撮っているつもりだったんだけどあるとか写真を見たらただ目を細めていただけだったことに気づいた時。そこから時が流れて小2か3、ユニバに行った時の自分の写真見て、えっこいつ細い気持ち悪いっておもった(私のおもってた自分のビジュアルと違いすぎて無理だった)とき。さらに時が流れて、小6のとき、修学旅行で教師が撮っていた旅行の動画に出てきた自分がすっげ勢いで話しててドン引きしたのが極め付けで、客観的に見た自分の外観については期待を捨て蓋を閉め、内面ばかりをかえりみる人間になっていったように思う(人類の後退)。今思っても小6の自分勢い強すぎて無理だわ。よく他人私と話せたな。

ここでうまい感じに見た目修正に入ればよかったのかもしれないが、まだ時期尚早だったのだ。たぶん。今はかなり改善されたと思っているよ。はっきりいって下限以上の労力をかけてレベルを上げようと思うような日はほとんどないが、若いので耐えてる。ババアになったらくたびれる。

 

今日は、買ってもらったミシンちゃんが届くよ。早くズボンを作りたくて震えているが、文書作成がむりなせいで明日までの課題を出せていないので今日は遊べないかな〜〜という感じ。辛すぎる。しかも嫌いすぎてキヲクから滅却していた生物化学のテストも明後日に迫っていたようだ。むりすぎる。昨日の晩は、当初本日午後に予定していた日暮里繊維街ツアーを断念する決断をしながら悔しすぎて涙を禁じ得なかった。これで単位来なかったら無能すぎて多分体千切れるわ。

 

今日頭にあったこと色々

なんとなく今日は雑多なことを考えてたような気がする。本日は3時半就寝7時半起床8時半から4時間バイト、そのあとはお友達のお家でテスト勉強。というなかなか普段の私には達成できない様子のスケジュールだったので、何か今日は多分頭からいいものが出てたんだろうなという気持ち。

 

やっぱり色々な人間と話すのはいいなあと思った。特に最近は、私が使わない語彙を持っている人とたくさんお話がしたいなと思う。新しいかっこいい語彙、積極的に身につけていきたい。日常会話で使用できるレベルのかっこついたやつ。でも今日は小学生塾のバイトもあったので、子供にわかるように平易に頭の中のことをなるべく一直線に工程を減らして話せるようになりたいなあとの思いも強くなったね。そういうの、身につけるという気持ちが今までなかったからまだまだまだまだこれから練習していきたい。来るべき我が子に備えたいみたいな。(来ないという説はない)

 

あとやっぱり自己を客観視するのが上手くなりたいなーとおもった。過去を振り返って、自分の行動が誰のどのような行動を引き起こしたのか、や、もっといえば自分がこれから行う行動により他人の行動にどのような影響が及ぶかということを中心にこれからは考える。他人のどの行動に自分がどれくらい感化されたか、ということはかなり落ち着いて調べられるようになってきたので、身近な相手から、その人に自分が与えた(orる)影響について考えるようにしてみたい。その上でやりたいようにやれるようになれればよい。ほとんど知らない他人についてもいずれはある程度の正確性を持った予想を立てられるようになりたい。

自分が標準だと信じて疑わない立場は捨てつつあるけれど、どれを標準として、持って来ればいいのかわからないことが多すぎる。まず母集団を、自分の理想集団に近いものにすることを許すかどうかも決められていないし。(世の中全ての人の標準を標準だとしてしまうとかなり苦しい人生になりそう。)偏ったとこから標準とってももはや標準ではない気がするが、悪い言葉を使うと、自分の周りの人間の民度がこの先どのくらい変化するのか予想がつかないので、いろいろ決めにくい。しかも今決めても意味がなさそう。

 

あとはアイドルのことを考えた。アイドルはやっぱり有能なアホであれ、と思う。アホというのは肯定的意味で使っているよ(今回は偶像崇拝的な意味では出したわけではないよ)。単純であれということですね、多才であることはあまり求めていなくて、やはり一つの点において突出していて欲しい。毎日自分の可愛い、かっこいい角度を研究しているような人間であって欲しい。テレビに出てくれるようになると、認知度が上がり割と誰にでも語れるようになるのでオタク歓喜歓喜なんだが、アイドル以外のお仕事に色気を出してくたびれて行くアイドルを見たくなさすぎる。それこそジャニーズジュニアのように毎日毎日年がら年中ライブしていて欲しい。テレビに出てもアイドルとしての番組をやって欲しいチームで出て。少年倶楽部(NHK)だね。この番組は最高。日本の宝。

ライブDVDとかみてたら、もうアイドルすぎて感謝しか生まれないじゃない。そういう感じだよ。

 

 8/8はA.B.C-Zのコンサート、仕上げてきたアイドルがアイドルしてくれる空間で豚になってくる!楽しみ。

ポエマー

急に吉野弘の全詩集を買わなきゃ、という使命を思い出した。買わねば。

 

真に高等な人間であったならば必ず詩人になろうと思っただろうな。

 

たとえば


ジメジメした夏、曇って日差しが当たらない日に二駅分ちょっとの距離を歩きながら次の目的地に向かうときのきもち、とか、日陰に入ったら思いの外涼しくて、その空気にゆるく暖められながらセミの声を聞く気持ちとか、三角形の風が吹いている真冬に全力疾走した時の体から溢れ出る体温に対する気持ちとか、プールの水にずっと浸かってると体がカッカカッカしてきてうまれるどうにもならぬ不快さとか、好きな人に嫌われたかも!という時の頭のてっぺんから冷たい金属刺されたみたいなぞわぞわ感とか、全部思いのままに表現できるような人間だったらどんなにか幸せな人生になるだろうといつも夢見ている。でもまず表現したいほど素敵なことも目の前にないと見つけられないっていうのがわかって、結構今悲しい気持ちになった。

 

私が大好きな日本語をかく人は(敬称略)、冒頭にあげた吉野弘スピッツ草野マサムネ尾崎豊夏目漱石司馬遼太郎。番外編で梶井基次郎(これはにわか)。

吉野弘は全部全部ドンピシャというわけじゃないんだけど、一生懸命探してると絶対すごすぎるやつ出て来る。

スピッツ草野マサムネはよくわからない偶像、よくわからない例えをたくさん持ち出して来るのにそれが全部言いたいことわかる!!!わかるツツツ!!!というものになっているのでよくわからない。私はこれになりたくて色々たとえ話を作るけど、ただのたとえ話が下手な人間へと収束しつつある。

尾崎豊は完全に天才。歌いながら寒気するくらい感情の全てが書かれている。聞いたらわかる。聞け。尾崎豊の曲聞いて、ふーんこんなもんか、ってなれる人は愛燃え尽きてる。人間やめた方がいい。

夏目漱石は、かっこいい。しつこくない。技巧なかった中学生の作った小説みたいな見た目してる文章なのにさらさらり。としてて気持ちいい。なのに文章めっちゃかっけえ。本当にアレになりたい。

司馬遼太郎は、私の高校生時代そのものだね。特にすごい言葉を選んで来るとか、ピシャーっと合うのが出てきた記憶はあんまりないんだけど、言葉を無駄撃ちしない感じ?がする。人間の一生を一冊にも満たない本に書き納められるんだからどう考えても天才なんだよな。

初心者が人間が生まれてから死ぬまで書こうとしたの今考えたら無理すぎる。(かつての私の自作小説。)

 

梶井基次郎は完全に番外編で、2冊くらいしか読んだことないし、本自体はそこまで好きじゃなかったんだけど、檸檬の途中で出て来る果物屋の描写だけは衝撃的すぎて一生忘れない。

 

早く詩人になりたい。

 

 1ヶ月ほど前に友人と見せっこしようねって、書いた小説がまだ供養されていないから早く見せに行きたい。テスト終われ。

 

電車を今から降りますが、電車に一番ぴったりな曲は、尾崎豊の17歳の地図だぜ。

 

ポケットモンスター 愛と友情

こんばんは。夕方起床をキメて絶望していた私ですが、本日は『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』を同居人ちゃんと観に行ってきました。今日は寝ません。生活リズムを戻そうな。映画始まってから終わるまでリアルにトータル5分間くらいしか泣いてない時間なかったんっじゃないのってくらい2人とも号泣してて、隣にいたカップルがでしなに、隣の人たち超泣いてたね(HAHAHA)みたいになってました。

 

※今回の記事はかつてないほどにネタバレを含みます(予定)のでイヤヨという方はお引き返しください。

 

数時間前の記憶なのにどんどん消えて行くよ、怖い。

映画は結構唐突に始まります。まずサトシが見ているテレビ上のポケモンバトルに出ているポケモンが、カメックス、ゲンガー、フシギバナで、んああああ~昔だ~~~ってなった。ここの時点でBGMがすっごい懐かしくてわーわーわーって気持ちが高まりましたね。(この映画BGM神采配でしたよ)そして寝過ごしたサトシがあまりもののピカチュウと旅に出るわけです。ポケモンをゲットしようにもピカチュウが言うことを聞かないので、サトシは自分で石をぶつけてポケモンを弱らせようとするんですよね。そしてなんだかんだあってオニスズメの大群がサトシ&ピカチュウを襲ってくるわけです。そこからの展開はもう、なんか、わかるよね。涙が止まらなかったよ。

そして仲良くなった2人の上空を飛ぶホウオウを見てサトシが言うわけです。いつかアイツに会いに行こうぜ!ここでOPめぜせ!ポケモンマスタ-!が流れ出します。OPのある映画はいいね。昨年君の名は。を観に行った時にも思ったけど、OPのある映画はいいね。ここからすべてが始まるんだ~~っていう気持ちの高まり。しかも今回は魂に刻まれし曲だしもう涙が出ないわけもなく(OP中の映像もすっげえよかった)。

 OPの後は今回の旅の仲間に出会います。ポッチャマをつれた女の子とルカリオをつれた男の子でした。昨日の記事に書いたような共に批判し合い高め合うような真の友情をはぐくむことのできる3人がそろうわけです。個々で私の感情は爆発した。互いに相手にはない強みを持っていて、相手のために惜しげなくそれを捧げ、そしてあいてからも真実がかえってくる。すてきだ。どうして彼らには適切な試練が与えられそれに成功し、真実の友情を生み出すことができるんだ。なのにどうして最後にはそれぞれの道へと笑顔で別れることができるんだ。おまえは将来もずっと目指す物へと共に進んでくれるパートナーがほしくないのかサトシ!って映画観ながらは思ってた。でも今考えたらそれ普通にピカチュウやん。サトシうらやましすぎる。早く私も毎日一緒に勉強頑張ったり、相談したり相談されたりするような友、真横にほしい。しかも同じ以上の熱量で。今私の友達でいてくれる人、みんな間接的に刺激を与えてくれて、本当のこと言ってくれるし、成長していることが感じられる人たちばかりだと思っているし、十二分に満足しているんだけど、やっぱり成長の向きも含めてそろっている友人ほしい。それがここ数年私がずっと求めている物。早く見つかるといいな。サトシの言う台詞『オレは友達になるためにバトルするんだ!』という物。本当にそうなんだよ、私がやりたいのはそれなんだよ。世の子供たちすべからくこの言葉を胸に刻め。そして大人になっても忘れるな。小さい頃の私ポケットモンスターを見ていてよかったな。いままで自覚はなかったが、確実におまえはポケモンから学びを得ているぞ。

 

順を追って感想を書くなんて芸当私にできようはずもなかったのでもうやめます。最後に私が一番震えたシーンについて。物語終盤。ホウオウがサトシピカチュウの前に現れます。そこでサトシ(というか松本梨香)が言う台詞。もう予想がついていて準備している耳に飛び込んでくる『バトルしようぜ!』(鳥肌)。何回聞いても変わらないこのフレーズ。最高。ありがとうございます。あと一つ残念だった点をあげるとすれば、ロケット団に正式な登場シーンが与えられなかったことくらいかなあ。コジローがウツボットに食べられるとことか、ラブリーチャーミーな敵役口上とかほしかったな。

 

 ここからはもう映画関係ないけど、サトシってことあるごとに名乗りますよね。『俺はマサラタウンのサトシ、こっちは相棒のピカチュウ。キミは?』私もこういうやつ用意しないとなって思います。アニメにあこがれて~っていうわけではなく、自己紹介するのが超絶苦手なので決まった口上を用意しておけば、それを読むだけならできるかなった思うんです。かつて予備校時代、名前何?って話しかけてきた男の子に、自分から自己紹介するの無理すぎて、先に名乗れよ。といい放ってしまった過去もあるのでね。(その場面を見た周りの人々は私のことをやべえ奴だと思ったらしい。)自分で書いときながらめっちゃ懐かしい事件だ。

 

攻撃的な人間でありたい

私は自分のことを外から見ると攻撃的な人間に見えるんだろうなと思っている。今では5〜8年前に比べるとすっごくすっごくまーるくなった(はずだ)けれど、それでもやっぱり根本的には攻撃的(にみえる)人間のままだと思う。

 

よくない方に転ぶと、排他的な人間だと捉えられるもとになってしまうから、そろそろやめたいなっていう風に考える日もあるが、やっぱりやめたくないなと思う。私は、攻撃しているつもりはなくて、常に相手と自分の言ってることを疑っているだけだから。本当に?って聞くときの気持ちは、それって本当に正しいことなの?っていうだけのことだし、なんで?って聞くのも、何故そういう風に考えるに至ったのかを知りたいだけなんだということをわかられたい。答えられないだろうおまえ〜〜あはは〜、とかいう悪意は基本的にはない。

 

自分の意見をさも正しいものであるかのようにいうのは、そう言ったほうがかっこいいからそうしてるだけだし、むしろなんでそう思うの?って聞かれたいし、私はこういう風に思うよって言われたい。毎日そういう会話をしたい。

 

まあでも本音を言うと、できることなら戦いたい。好意的な対抗意識を持たれたい。自分と同程度以上の人間と戦って勝つのが好きだ。めっちゃ強い人に戦いを挑んで負けましたわ〜ってやるのも好きだ。毎日、鬱陶しいくらいに人に攻撃されたい。もっともっと一緒に勉強しよって言われたい。仲良しこよしで毎日やるのも楽しくない。先生ももっとダメダメダメダメ叱ればいい。お互いに思ってることをちゃんと言うこと、それが一番エネルギー使うことだけど、それが一番楽しくて、素敵なことだと思うもん。

 

今の自分に満足しないでなるべく自分を疑って、できるかぎりで外の世界へ出て行っていろんなことがしたい。今いるところで仲良く暮らしましょうって言うのはもういらない。それが欲しかったらもうずっと大阪に住んだままにしたもん。東京に来てもちっともなにも変わらなくてそろそろ涙が出そう。

 

戦いを挑む価値がある人間だと認識されるようにこれから頑張らなくちゃいけないんだなって分かった。いつ戦いを挑まれてもいいようにきちんと準備していない人と戦っても確かに面白くないもんな。価値のないやつだと認識をされないように何かを毎日続けないといけない。

 

同居人(中高の同級生)と昔語りをしたりしてたので、感情が爆発して、中学生のときみたいな暗黒な記事を生み出してしまった。でもやっぱりこう言う気持ちはずっと消えないし消えたらもう悲しすぎるなと思った。本当のことを相手に伝えて理解してもらうことを諦めることが世界で一番悲しいことの一つだし、それだけはずっとしたくないなと思う。それは自分の意見を認めろっていうことではなくて、自分はこういうことを考えていますよっていうことを知ってもらうっていうことです。

 

話は変わるが、今日も1人の友人から、ブログ始めようと思う〜〜っていう嬉しすぎる報告を受けてめっちゃハッピーです。心が叫びたがっているらしい、早く書け〜早く読ませろ。活字依存症なので文字があればもうそれだけでハッピーなんだ。

 

今思い出したけど、情報最履の課題全くやってないし提出期限も把握してないし寒気して来た…。

街で知り合いと出会ったら

有機のテスト勉強、バイト休みの電話、作りっぱなしのポリマーの回収、ラインの返事、図書館で借りた本の返却、ごみすて、朝ごはん、授業への出席、やらなきゃいけない事が何もできないし、そもそもやらなきゃいけない事が何なのかわからないような気がする。ずっと頭の中がモヤモヤする。

歳のせいでこうなるって聞いたけど、この先の人生ずっとそうならもう早くやめたいわ。

早寝早起き体力つければ改善されますか。

早寝早起き体力つける、一番したくない事だけども。大丈夫ですか。

 

無理するレベルの早起きが毎日必要とされるような人生を送らずに済むように頑張っていきたいなあと、最近の望みはそれだけです。

 

街で知り合いと出会った時、声をかけられる人って世の中にどれくらいいるんでしょうか。私はかけられません。向かいから実の妹が歩いてきても、ギリギリ声をかけられるかというレベルです(妹とはめっちゃ仲良い)。

 

大学でいつも仲良くしている友達が目の前を歩いているとする。これが明らかに通学路だったら、多分話しかける(でもこれも多分)。もし、その場所が池袋だったら、きっと話しかけられない。

 

同じマンションに小学生の頃から住んでいる同級生と帰りの時間が同じになって、たまたま同じエレベーターに乗ったときも、話しかけられなかった。中一から、高三までずっとタイミングを計り続けただけで終わってしまった。もうきっと将来お話しすることはないんだろうな悲しい。

 

自分と会うことを予定してきていない他人に対してどのようにアプローチしていけばいいのか全くわからない。特に仲良くない人だった場合、適切な場所でないと私を認識してくれないかも知れない。そもそも街中で会って声をかけて何が起こるのか。そこから立ち話に持っていきかたなんて、本当にしらない。

 

だから街中で私に会った人、気づかないふりをしているわけでも、気づいていないわけでもないんです。ただ本当に声のかけかたがわからないの。私にはハードルが高すぎるんだ。そちらから声をかけてくれたのなら、きっと嬉しく思うし、楽しくお話はできましょう。

 

ただ、ふらっと出た街中で、そこに誰がいても、仲良しの友達でも、彼氏でも先輩でも、数回会っただけの人でも、そのすれ違う一瞬に、私がいることを伝える術も、理由も持っていないというだけのこと。

 

似たようなことでいうと、私の知らない人といる知り合いには話しかけられないし、直接的な会話を目的としていない不特定多数の人間がいる空間は嫌いだ。

相手が私と真面目に接触することを目的としているということを確認できないと、不安、不快になる。

 

知らない人の前で猫かぶってる友人を見るのは嫌だし、社交辞令を言うような人がたくさんいる空間にいるのは苦しいということだな。

 

そういうことをできるのがまともな人間だと教わって育てられた人たちのことは、想から大変羨ましく思うけれど、自分がそうするのは嫌だといってごねる、だめな人間になってしまったよ。

どうしても、内容のない会話をすることが相手に失礼なことだとしか捉えられない。決してしたくない事のひとつ。

 

夏休みにしたかったこと

完璧な夏休み、これは私が幼少の折から一度もまだ現実にしたことがない、憧れの一つである。

 

小説や、漫画に出てくるような完璧な夏休み。1日が3日に感じるくらい新しい発見が毎日目の前に現れる夏休み。蝉の声を聞きながら、汗だくになって何かを探し求める夏休み。そんな夏休みをこの人生一度くらいやりたい。今年じゃなくていいけど。

 

まず、スイカ、かき氷を食べる。カブトムシを捕まえに山に行く。近所の公園でセミ捕りをする。夏祭りの縁日で遊ぶ。花火をする。キャンプをしてみる。プールに行く。海に行ってクラゲを捕まえたり刺されてみたりする。おじいちゃんやおばあちゃんの待つ田舎に帰る。友達と毎日遊ぶ。甲子園の決勝を見に行く。

完璧感がすごいな。

 

昔から虫取りに対する憧れがすごい。一度もしたことがない。野生の動物に接する機会が極端に少なかった。

おじいちゃんの家は田舎ではあったけど、うちのすぐ裏が山というわけでもなく、山に行くには車で30分。子供が歩いていけるのは、家の横の小さな公園。中学生になってやっと、家の近くの海岸。

虫捕りがしたい。子供の頃おじいちゃんに一回だけカブトムシ捕まえたいって言ったら、近所の人が捕まえてきたやつ?をくれようとしたのがとても悲しかった。

 

木に蜂蜜ぬって夜中に見に行ってみたい(本当にそんなことしてる人いるのかというくらいに現実感味を感じない行動)。

 

私が去年の夏休み(?)、一番楽しかったのは井之頭公園の動物園でザリガニを触ったことです。人生で初めて目の前でザリガニを見たな。めっちゃビビりながら子供に混じって触りに行ったわ。

 

今年の夏休みはね、花火、プールは決まっているからね、完璧な夏休みへの第一歩はもう踏み出しているよ。みなさん私の完璧な夏休みにご協力いただきたいね。特に虫捕りしたいです。