新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

精神がどこかへ

行ってしまったという感じがする。

最近のダメな日の常だ。先の先から分かっていたことで、自分でなくてはならないことなど本当は何もなくて、ただそのように思うことが異常だということに気がつかない人間がほとんどすべてを占める世界があるというだけのことである。そして、私は努めていなければ、自分が自分であることを認められない、そんな心になってきたのである。

 

友人からの手紙に、○○(私の下の名前)へと書いてあった。当然のことだ。だが私はその文字が私を指すということを直感的に認知できなかった。そのようなことが、日々起こる。名前の存在自体が危ぶまれたり、不快なものに感じられたり。

 

つい、一ヶ月後くらいにふらっと消えてそのままどこからも現れなかったとしたら。わかったんだなと褒められたい。

 

逃げ場

 

メンヘラの逃しどころを探しているのですが。顔本はなどソーシャル(笑)は論外やし、恋人にもだめだし、インスタグラムに何か書けば母親からラインが飛んでくるし、こころおきなくエンエンうぉんぉん書きたいだけなのだが。何故それさえ許してくれないのか。何もしてないからこんなにだめになるんだろうと思う。何かしないといけない、が、常に心ここに在らずなので、何もできないし、何がしたいとかもないし、何ができるとかもない。何もできないまま、今年が終わっていく。さようなら人生。

 

早く死にたいな、という気持ちしかない。いつになってもループから抜け出せないなら、千切っていくしかないだろう。

 

昨日言っていた通りの今日になって、そうだよな。という気持ちでしかない。

 

バイト中です。

 

あみあみ

あみあみ、このごろはほとんど毎日編み物をしています。でも今日はミシンをしようと思います。編み棒がたまってきたのでケースを作るのです。

今日は朝から、マイネームの一般名称がなにか思い出せなくて苦しんでいました。やっと思い出しました。文字を書いたり、打つと文字を思い出す、ということあるけれど、どうにもスマホではそれは起こらない。

 

模様編みの本を、今日買いに行こうと考えています。普通の本屋にそんなに在庫があるのかなあ、というのがふあんです。東京はどこも店が小さいので本屋は駄目ね、という気持ちです。池袋まで行こうかな。どれもこれもクリスマスプレゼントに、手編みの手ぶくろがほしいと、彼氏が言ったからです。それだけで人生の9割5分くらいの幸せが降ってきたような気がする。やんだ時にはきっとこの記事を読んでほしい。

たまにこのような、え、お前そんなこと言えんの!?みたいなことを言ってくるので人生がお花畑。クリスマスケーキ作ってって言われたのも喜ばしかった…。だがそれを言ったこと自体を本人が忘れていることも多いので、ぬか喜びになる可能性があることだけが悲しい。

 

なんなら頑張ってクリスマスに実家の妹にポンポンと耳あてのついた帽子を送り付けたい。編み物は場所も取らないし、失敗してもすぐにほどけるし、寝る前にやれば睡眠導入になるし、みなさんにお勧めしたいです。

 

今編んでいる途中なまふらーがあるから、それをぜひ今月中に完成させたいなあ。

ケーキの予約

 

今気がついたんだけども前回の記事ナイスなタイトルを考えてるうちに投稿してしまって名無しのゴンベになっていた…。

 

クリスマスが好きで、高級なケーキを予約するのも好きなので、今年のケーキを相談してみました。そしたらケーキ作ってと言われてしまい、ちょっと新しい気持ちになって嬉しかった。次の木曜はわたしの誕生日なんだけど、どうやらケーキを予約してくれるらしい(?)本当か?言っているだけなのではないかな?と思いつつ高まってしまっている。そんなことよりわたしは今水餃子の気分だから。と思い込むことで過度な期待からの落胆を予防しています。

 

とりあえず11月に入ればずっとクリスマスソングを流し続けるひびが始まるのである。

 

先週かつてないほどに延々と悲しい気持ちが続いていたのだが、そこで一つ新しいことを学びました。私は、よく恋人の言動で自分の予期せぬことがあると、とても悲しくなってこの世の終わりだわといわんばかりの絶望感、どうして私はこんなにかわいそうなことになってるんやと涙が溢れる体質ですが、その時にさらに情けないことが、慰めて欲しい気持ちが向く先はいつも傷つけてきた(まあ勝手に傷ついたともいう)張本人であるところの恋人になる。だからどうしようもないな〜〜とおもって、人に話してみると、そういう時は浮気するって言われて今世紀最大の納得を得た(私がそうしようと思ったという話ではない)。せいよく以外で浮気するモチベを知ったのであまりに感情が理解しやすい。

 

私は、ヘラ美沢花子なので、よく彼氏に振られるシミュレーションをして突然の不幸に備えたりしますが、最近はそれで普通に泣いたりします。自分の中に生の感情に近いものを生み出すことに長けてきたように感じます。他人の生の感情に目を向けることができるようになったことの副産物かな?とも思います。

 

すごくいい、幸せだ、と思うことがたくさんあるけれど、それを噛みしめる前にやめてくれよという出来事が起こる。あ〜〜しあわせのせを言う前に鬱の波がやってくるサイクルが、短すぎる。もうちょっと気にくわないことの閾値を上げていかないときりがない。

 

 

いつかはきっと忘れてしまうだろう、行ったところ、やったこと、伝えたこと、聞いたこと、見たこと、その気持ち、何に笑って、何に驚いて、何に感動して、何にむかついていたのか。すべては過去にプールされてどれがどんな順番にでてきたのかもわからなくなる。

自分を反芻しようと試みたとき、その無謀さに驚いたことがないか。しょっちゅう自分の現在を見失い、スンとからだは冷え、自分の中身は宇宙のどこかへ飛んで行ってしまう。何かを口にしている時だけは、自分の今がガワの中に戻ってきているように感ぜられるので常に口に物を詰めている。苦しさがすごい。