新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

レバーファイル

 

レバーファイルと聞いて、あなたはすぐに何をさすか分かりますか?わたしはきょう初めてこの固有名詞を知った。書類に穴開けなくてもいいけど、上からギュっておして挟むタイプのファイルのことらしい。わたしはこれすごい嫌い、一定以上入らないし、書類を追加しようとする度に全てがバラバラになる危険があるから。他に小学校で良く配布された、穴あきプリントを挟む形のファイルも嫌い。穴開けるの面倒やし、穴開けるところに何かしらのメモが書いてある場合もあるし、穴に通すのも面倒やしとにかく嫌い。今はクリアファイルを使っているがフタとマチがついたものが一番好き。

 

中学か高校のとき、(中高一貫校だったのでわたしの記憶ではほとんど中学と高校の区別がない)

フタがついたクリアファイルがいっぱい束になったカバンみたいなやつ、が好きで使ってて、そこに、みんなで交換した絵とか自分が描いた絵とか色々入れてたのにあれは一体どこにいっちゃったんやろう。手紙など捨てられない質なので捨てたはずもないのだが、どこにあるのかわからない、そういうものってたくさんあるなあと思った。存在自体忘れているものもきっといっぱいあるし、みんなどこに消えてくんだ。小学生の時にお駄賃を貯めてた瓶とか、小学生の頃隣町の子と送りあってた手紙をしまってた引き出しとか、ポケモンのおもちゃとか、リカちゃん人形、シルバニアの家、いろいろある。初めて自分で買った服は、捨てた日のこと覚えてる。

 

わたしは忘れっぽいのかもしれないけど。なにもかも覚えていられない。明日する予定のことも、昨日のことも、特定のことばかり思い出す。たまにすごく前のことをすっと思い出して、ドキドキするときもある。

 

今日は、もう5年前くらい、に、京都で行った金平糖屋さんのことを思い出した。手のひらに、小さなトングでつまんだこんぺいとうを1つ、乗せてくれた。あの可愛さが今の私にはもう遠い。

 

 

今日したいこと

 

走りたい、体がクタクタになって、無理やりお風呂に入ったらすぐに眠るくらいに。心が元気なのを感じる、昨日のわたしどこへ行ったんだというくらいに軽い、肩が。今は毛糸でスカートを編んでいる。およそ10時間後に、研究室訪問があり、その2時間後には、シティハンターの映画を見る。全てが決まっている一日、気持ちがいい、そのあと何か運動したいけど、思いつかないのでチャリで徘徊する。買い物して、晩御飯を作る。厚揚げが食べたい。

 

人に怒られた時に悪寒がして、頭の芯から一瞬で冷える現象、もしかして、血の気が引く、という言葉に該当するんかなあ。

 

心キビキビ

 

今日のキビキビは厳しいのキビキビではなくほんとうの機微のほうです。今ウルフルズを聞いていて、秋田新幹線こまちが目の前を通ったので心がウキウキしてしまい、こんなテンションで書き始めています。

 

わたしも、ララランドはつまんねー映画で、グレイテストショーマンは楽しい映画だと思う人間です。普段の会話は自分の知識を相手に示す、あるいは思いついた面白いことを伝える、あるいは、自分の体験した面白かったことを相手に知ってもらおうと試みる、の3つが主かなあと思います。あとは、好きな人と話していたら、その人の考え、趣味嗜好について尋ねてみるとか。以前から何度か書きましたが、当然わたしは会話ができてないです。壁打ちなわけです。もちろん時には、相槌を打ったり適度に質問を投げたりしてみることもありますが、大体弾まずに収束します。下手なんだと思う。でも場の空気が読めないわけではないから、楽しそうな雰囲気が出ていれば楽しそうに、悲しい空気だったら悲しそうに、できることもあります。自分が楽しくなっちゃってたらできないですが。時の運です。その場では相手の考え、気持ちの向きなど考えている余裕はないです、後から家に帰って、う、まずったかな?と考えます。わたしも他人の気持ちには鈍い方だということは、幼い頃からわかっていたので、昔からあとから不必要なくらいに反省してしまったりしています。相手の気持ちなんか、顔が笑っているか、怒っているか、泣いているか、悲しい、嬉しい、ごめん、ありがとう、という言葉を使うかどうかでしかわからない。話を戻して、不必要な反省というのを説明したい。たとえば、わたしと友人関係にあるAさんが、どうやらとても落ち込んでいる、するとわたしは

それが自分の言動により誘発されたのではないかという妄想に囚われ、心の中で延々と可能性を探り、意味もなくごめんね、とラインを飛ばしてしまいそうになるのを必死に抑えながら布団の中で落ち込み芋虫になる。実際には彼女はわたしとはてんで関係のないことで悩んでいて、しかも、そこまで深くも悩んでいなかったとしても。わたしにはもう関係なくて、マイビズなのです。彼女が落ち込んでいたのはわたしのせいだ、これがわたしのなかの事実になり、恐怖まではいかなくとも、彼女と会うのが億劫になり、その時身近にいる人、ほとんど恋人かな、と二人だけの世界だったら良かったのに!と心を怒らせる。ここまでがワンセットです。まあ。日々こんな感じです。

 

普段は何も考えてないけど、ゆっくりと後で考えれば、人々の行動がどのような感情を表現するために行われているかはわかるけど、その感情の原因を推測する作業が苦手で、結果、すべての原因をわたしに結ぶことで事態を収束させようとして無駄に苦しんでいる、ということです。

 

だから映画とかアニメとかでも、わたしは〜〜だからこうする!とかはっきり言ってくれてたり、どう考えてもこの理由で喜んでるな〜〜!!みたいに感情の原因結果がはっきりしてるものがすき。なんだとおもうよ。

 

ここまで書いて、わたしがミステリ好まない理由がわかった。かも。登場人物の心情をあまり深く追わないイメージがあるからかもしれない、今読んでる迷路館の殺人が、まさにそうなんだけど、事実描写が多くて、登場人物が多くて、一人称視点で感情を掘り下げることが少ない。わたしは、小説で人間の感情思考を学んできたので、そういうのがわかりやすい本が好みだ。司馬遼太郎歴史小説が大好きなのだが彼の本だと、ほとんど一人称視点で自分の中身をザクザク掘って出し掘って出ししている。時には作者の感情も乗ってくる。これが鬱陶しいと父は言っていた。ミステリは、その辺が弱くてぼんやりしてしまう、感情がわからないことはないんだけど、絶対量が少ない感じなのかね。

 

 

おはよう、

 

まちは、正しい。

朝になればいそいそと動き出し、おじいちゃんは公園の掃き掃除を、おばあちゃんは湯を沸かし、やかんから吹き出す水蒸気越しにキッチンから朝の光を浴びる。花は水をもらい、鳥は鳴き、全ての始まりが感ぜられる。これが健康な人間へ与えられる素晴らしい朝。

日が落ちれば、シャッターは下ろされ、音は小さくなり、電灯が太陽の代役をかって出て、整えられた食卓を照らす。人はみな家に帰り、湯浴みして、布団を温める。12時にもなれば、起きているものも遠慮がちに、声をひそめて語りあう。そしてまた、素晴らしい朝を待つ。

 

私はといえば、16時に目覚られればいい方で、のろのろと準備をし、1日の終わりに滑り込むようにバイトへと向かう。バイトが終わればもう、街の灯りも消える頃、終電を逃さないように小走りで駅へ行き、冷えた部屋で細く暖房を焚きながら、こっそり風呂に入り、壁にもたれながらゲームや、編み物、読書をする。窓の向こうが明るくなるのが怖くて、6時より前には布団に潜り込み、眠気が来るのをじっと待つ。

 

 

 

 

シロント バンタレイン

 

今年は百貨店に行くこともなかった。本当は、かわいい、クッキーを作ったんだけど、怒りのパワーが溜まった時にクッキー、粉々にしてタッパーのままゴミ箱に沈めてしまいました。世界一かわいそうなクッキーを生み出してしまった。ごちゃごちゃなあたまが落ち着かない、でももうずっと、ものを渡すのも怖いし、どこかへ行くのも怖い。

 

 

今日は怒りのパワーがすごい、何もかもが気に入らない、小さな物音がわたしを苛立たせる。いまスマホのキーボードを操作している音がわたしを焦らせる。早炊きにして炊いた米をもう5時間も放置している。炊飯器が米を炊き終えた時の電子音が気に入らなくてコンセントは引き抜いたから今日の夜には冷や飯の出来上がりだ。イヤホンをつけて、目をつむって、編み物をして、感情を外に流し出したのに、やめた途端に努力は台無しになってしまい、高まったなにか、負の感情かどうかもわからない、ただただ熱量だけが両の胸にとどまり、どうしようもなく、叫び出したいのを必死に抑えている。飲み物を飲もうと思って、ペットボトルを開けたら、中の気体がシュッと音を立てて飛び出してきて、気が狂いそうになった。