新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

いつもの

怖い想像を何度もする。

美しい景色のために一つだけ必要だったおぞぞな気持ちが暴走している。さっきから何度も、船の手すりを使って前回りをしてそのまま海に落っこちる想像が頭から離れない。水に落ちたらそのあとじっとして浮かぶのを待ってそれから立ち泳ぎをしながらズボンを脱いで、船に向かって泳いで行っていつか救命ボートがくるのを頑張ってまつところまで想像する。落ちた後は我慢すれば浮けるのだろうか、夜だから上と下がわからないだろうからどうしようか、といらない心配がどんどん頭を支配する。今までにないパニックが頭の中に起こる。いつもの発作が海で起これば考え慣れてないしかも具体的な恐怖が立ち上がることがわかった。しかもなんだかその恐怖の実際を確かめてしまいたい気持ちにさえなる。明日手すりに近づかないことにする。

 

わたしは船乗りにはなれないな。

 

海は水の塊

わたしは今海の上にいる。

鳥取県は境港を出発し、韓国トンヘを経由、ロシアウラジオストクまで定期運行しているDBSクルーズ運営のフェリー、イースタンドリーム号の船内である。500人乗りの船は、父が持つ漁船もどきのさっぱ船なら先がポンポンと跳ねてとても走れないほどのスピードで海を分ける。立ち上がるにも階段を上るにもいつもより重力が感じられるくらいにふらふらのわたしも船中二日目にしてもう元気になって、デッキから海を眺める余裕の船旅を満喫している。キラキラの海が大好きでずっと見ていられるような気がした。

 

9時半ごろ、雑な入国審査を終えて、韓国トンヘに一時入国したわたし達は3000円をウォンに変えて、タクシーに乗り込んだ。境港とおんなじくらいにボロな港だったのに、10分もすれば片側4車線の大通りがあらわれて、とても驚いた。フェリーのお姉さんに教えてもらった鍾乳洞へ行くことにしていたので、向かう。大通りから5分のところに鍾乳洞があることにも驚いた。中の広さとしてはわたしがかつて行った二つのものよりも狭いが、立ったままで行ける範囲としては先の二つよりも広いなあと思った。上下から伸びる石がもう直ぐくっつきそうなところに看板でHundreds years waitingと書いてあってセンスを感じた。妹は頭を勢いよく上から生える鍾乳石にぶつけた。私は高校の修学旅行で沖縄の鍾乳洞に行き、ライトのついたヘルメットを装備して水の中を歩いたときのことを思い出していた。一番奥についたとき、ガイドさんが、ここには一切の光源がないので明かりを消してしばらくしても目が慣れるということはありません。永遠の暗闇なのです。と言ったので大変な恐怖を味わったことを覚えている。その後は水の綺麗に流れているところで、グアムの鍾乳洞を思い出した。それは1時間ほどの山道?森道?を行った先にあり、中に開けたプールのようなところがあって、そこで泳ぐことができたのだ。潜っても浮かんでも底が見えた。

 

鍾乳洞を出て、マクドナルドでwi-fi乞食をして、買い物をして船に戻った。余った数千ウォンを使うのにコンビニでお土産にタバコを買った。

 

知らないうちに船は出て北へむかう。海は昨日よりも凪いでいたけれど、部屋が船の先へ変わったので昨日よりも揺れる。夜になって、星空がきっと綺麗だろうとデッキに上がれば、月が半分も出ていて明るくて、秋の空のような雲も出ていて目が慣れるまではあまり見えない。朧月夜を歌ったら、春の歌だった。そして、なぜか東の方に陸の明かりが見えた。海も空も、遠くの方まで真っ暗なのに、水平と地平の境目だけははっきりとしているのはなぜなんだろう。南を見れば月が一つの道だけ海に作って、その上に自分の影を落としていた。月は太陽の光を反射しているだけなのにこんなに明るくて変だなあとか考えていた。こういう本当に綺麗な景色を目の前にするといつも、自分の目が悪くて、全部が綺麗に見えないことがもどかしい。

 

本当に綺麗な景色というのは、少しの不安定な気持ち(私はそれをおぞぞとした気持ちと形容する)が生じるときに完成する。船の手すりにつかまって、半分身を乗り出して、まだ冷たくはないけれど、風に吹かれ、自分が海の上ひとりぽっちなんだ、と心の奥から寂しさが湧き上がったときに完成する。写真の中の風景には感じられない、後から思い出すこともできない、今だけの完璧な美しい景色をずっと味わうために、何十分も、髪が塩辛くなるのも我慢して、ずっと手すりにつかまっているのだ。

 

妹は日の出を見ると張り切って寝てしまった。私もきっと早起きするんだ。

 

 

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おばあちゃんおじいちゃんおばあちゃん

大阪に帰って、大阪のおばあちゃんのところへ行った。もう6,7年老人ホームで暮らしている。5Fワンフロアの老人ホームに10人くらいのお年寄りと、3人くらいのヘルパーさんがいる。前に行ったのは、多分三年は前のことで、その時の記憶からすると、おばあちゃんはかなり、知らないおばあちゃんになっていた。右半身には麻痺が出て、ろれつがうまく回らず、私たちの話は理解していても返事がろくにできない。左目はどこも見ていない。怖いなとは思わなかったが、知らないおばあちゃんだったらきっと怖いだろうと思う。85歳くらいのはずだ。毎日血圧が200を超えて、毎日頓服を飲んで、毎日死にかけの思いをして、毎日誰かが会いに来るわけでもない。父はもっと会いにいくべきだと思う。おばあちゃんが死んでしまえば一番沈むのは絶対に父なのに、知らないふりをして、自分が会いに行っても喜ばないなどと言って、素知らぬふりをしても近すぎる死は遠ざかるわけでもなく、ただ準備の間に合わないうちにやってくるだけなのだ。わたしは今回、はっきりとおばあちゃんの死を感じ取ってしまった。冷たくて皮膚が薄すぎる手から、ニコニコと笑う顔から、椅子に座るたわんだ背骨から、とっても、とっても感じてしまった。わたしはもう、東京に帰れば次には会えないかもしれないと、しっかりとしっかりとおばあちゃんを見たのにね。

 

次に鳥取米子市に住むおばあちゃんおじいちゃんのところへ行った。そちらはまだまだ元気で、庭の世話をしたり、鳥の世話をしたり、鯉の世話をしたり、グランドゴルフをしたり、暮らしている。おじいちゃんはどうやら、終活という言葉を覚えたらしくしきりに使う。90歳を超えたらNHKののど自慢に出てやしゃごのために歌います、とやってくれるらしい。それでもやっぱり二人とも歳をとっている。

 

はっきりと老いていく祖父母と、年々みなぎってくる私。このコントラストが恐ろしく残念で、子供は若いときに作るべきだとまた思う。若いおばあちゃんが幸せだ。若いおじいちゃんが幸せだ。子供が20歳になっても、一緒に出かけてあげられることが幸せだと思う。きっと25までに子をなして、母をまだ若いおばあちゃんにしてあげたいとか勝手に思った。

台湾のひと

 

8月、ゲームセンターで1人UFOキャッチャーと白熱の一線を交えていたとき、横でずっと見てる変な奴がいた。普通のオタクか?と思ってたら、途中で携帯の画面を見せてきて、google翻訳が、あなたは多大に費やします!頑張って!と書いてたので中国人だとわかった。結局彼はわたしが3000円を投げ込むのを横で応援して、取れた時には一緒に喜んでくれて、横の変なおばさんも祝ってくれたけど。そのあと、話しかけたそうにしてきたので、少し話をした。彼は台湾から妹ときていて、ゲームが好きで、龍が如くの舞台である新宿に行ってキャッチの激しさに辟易としてホテルの近くのゲーセンでゲームをしていたらしい。わたしのやってるのとおんなじ格ゲーが好きやというので、ps4で友達になり、顔本で友達になり、ラインを交換して、ホテルと家が近かったので歩きながら一緒に帰った。これはナンパなのかなんなのか?と思いつつ、別れ際に送ってもらったから飲み物でも買うよと言われたけど、急に怖くなったのでそのまま別れた。

 

会話は全編英語で、そのあと毎日一通くらいは、ラインが来た。英語で文を書くのもできなくないがしんどかったので1日1回しか返してなかった。あった日はちょっとハイだったので、3日目くらいから、2度と会わないであろうし、返事を切ってやろうかとか、ブロックしてやろうかとか思っていた。

 

話の流れで、スキーが好きだということを言ったら、彼は日本でスキーをしたい!といい、来年の2月のチケットが安いから、一緒に行かないか?と誘ってきた。流石に会ったばかりの会話も快調に行かない相手と旅行に行くのは億劫すぎて、彼氏もいるからむりだと断ったのだが、友達も呼んでも良いから行こうよ!とさらに誘われて、もう完全に面倒になってしまって、既読無視した。

 

次の日、彼から、君は日本でわたしに親切にしてくれた初めてで唯一の人だ、この友情を大切にしたいので、昨日の提案は、もっと仲良くなってからにしよう。でもやっぱり2月に日本へ行こうと思うから、その時にはゲーセンで一緒にゲームをして、ご飯を食べよう!不安に思うなら、友人を連れてきてくれても構わないよ!と、連絡が来た。猛烈に感動してしまった、、、。かねてより外国人に心はあるのか問題(当然あるんだろうけど全く見えない問題)を抱えていたわたしにとって、確実に、全てが変わった瞬間であった。彼はわたしの心を想像し、自分の行動の是非をとい、自分の心をわたしに見せてくれた。また、わたしの拙い英語にわたしの心を見てくれた。当たり前なんだけど、わたしは、そういうことができたことがなかった。もちろん、日本にいて、日本語を話せる外国人の人の心は見えたことはあったけど。本当に初めての経験で、とてつもない感動をおぼえた。笑う。怒る、感謝する、より深い感情に触れた、クラスメイトが友達になった日みたいな。興奮して、20行ぐらいのラインを返した。

 

あともう一つ、台湾人は拼音を使わないっていう話をきいてからどうやって文字を打ってるのか謎だったのだけど、なんだか部首みたいなのを組み合わせて打っていた。

 

シェリー

見知らぬところで人に出会ったらどうすりゃいいかい

おれははぐれものだからお前みたいにうまく笑えやしない

夢を求めるならば孤独すら恐れはしないよね

ひとりで生きるなら涙なんか見せちゃいけないよね

 

部屋で、二人壁にもたれ、扇風機の音の響く部屋で、大きな声で歌った。歌いながら彼は泣いて、これってまるっきり今の私の心境じゃないかって思って泣けてくるさ、と言った。人の書いた詩に自分を重ねて涙を流して甘えてくる彼をうらやましいなあと思った。さらに彼は続けて、私の場合、歌ってる尾崎自身にも女のほうにも自己投影できるんだぜ、といった。ひとりで二人分、きっと何人分もわかってしまうなら、きっと早くに寿命が来るのかもしれないなあと、そのときも考えていた。

 

 

 

 

回帰線、私の好きな存在という曲が入っているので聞いて欲しい。