新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

まがりすぎ スペクタクル

 

今日は久しぶりに話す人と話した。私のブログを読んでくれているらしく嬉しく思った。人に読まれたい気持ちで書いてるわけではないけど、面白いと言われて嬉しさ100。

2時間ぐらい話して満足感、明日からもやっていきましょう感がもりもりになった。頑張っている人間が好きです、なことを再々再々再々認識した。話した後にやる気が出てくるような人って、私にとってはなかなかいないから、嬉しいよ。自分ももっとサボる時間を減らさないといけないのだが。

ここまでは今日のあまりの満足感から書いたけど、本来かきたかったことは以下続けます。

 

僕たちがなんとかしなければ、確実に世界は崩壊するのです。

最近私の古泉くんは不在、治安悪目。今の彼氏と、前の彼氏が見てる私は別人、高校の時に私を好きだと言っていた(?)男の子が見ていた私も別人、今日の私と明日の私は別人、毎日寝た瞬間と起きた瞬間の私も別人。電波なわけではなくて、涼宮ハルヒにあてられているわけではあるけど、それを抜きにしても別人。話逸れるけど、10年ぶりに真面目にみたハルヒ、なるほど、ラブコメじゃねーの。私の精神の成長なのよねこれが理解できることが。成長した私は自分を判断できなくなりつつある。他人と深く関わることは自己を相手と混ぜて溶けてゆこうとする行為、相手の思う私と、私の思うわたしとの戦い。その最中に気づく、わたしってなんなん?相手って誰なん?ここまでたどり着けたということはここが一種の平衡状態で、かなりずれた部分があるが、通称はたぶんマンネリ。そこから抜け出す方法その1、お別れしましょう(実行済)。これは良かったのか悪かったのかいまだにわからないし墓場でも解けない謎。でもその時わたしがちょうど忙しかったこと、ビビリだったこと、面倒に思ってしまったこと、相手も面倒に思っているんじゃないかと思ったこと、嫌われたくなかったこと、などなど様々な要因があってのことなのでもう仕方ない。方法その2、頑張りましょう(実行中) 。相手に何度も何度もぶつかりましょう。わたしは負けたくないのでメリケンサックをつけてフルボッコにしています。それに耐える相手もまた才能あるよなといつも思う。昨日電話で、なんでわたしにサンドバックにされてんのに平気なん?気にしてへんのか?と尋ねたところ、その辺の女と違ってちゃんといろいろ考えてくれてていいなと思う、というびっくり回答が来てビビった。こんなふうにわたしが相手のことを想像しきれないように、相手ももちろんそうなのだから、頑張って説明してゆくほかないだろうと思う。こういうのもあるで、これはどうや、いらんか。ということの繰り返し。

まあ最近は勉強、やるべきことに対して気力全振りなので、そういうこともしてない。電話やとまじただの喧嘩にしかならんし、相手が理解したかも確かめられんし、というのもあるが。そういう行動の頻度の低下は相手の存在を小さくするし、相手の存在がそんなことが原因で小さくなるっていうことにまた自分ってそんな愛ない人間?ってなったりもする。

全く、困ったものです。

 

 

クローバー

 

魔法が使える人は、四葉のクローバーをすぐに見つけられるらしい。わたしは今まで見つけた記憶がない、覚えているのは、三つ葉のクローバーの一葉をちぎって四葉にしたことだけ。

 

小さい頃父と出かければ、トイレに行った後誰もハンカチを持っていなかったから父のかたいジーパンでいつも手を拭いたこと、最近そればかり思い出す。

2回目のわたし

自己紹介記事です、昨年のものは、過去記事の海にぽちゃんとプールしました。それか、消してしまったかもしれない。

 

現在は、都内大学にて一浪一留4年生(二回目)をしています。昨年は卒業研究履修の資格がなかったので、今年から卒業研究やってます。有機合成をしているのですが、ちょっと気持ちが滅入っています。気が短い人間には手間がかかりすぎるのと、モノを作っただけでは達成感を得にくい人間なのとで、焦るばかりなので、本や論文を読んでなんとか正気を保っています。研究室にパソコンを持っていき、自宅がザコになってしまったので、おニューのタブレットを買いました。じきに紹介します(ダイレクトマーケティング)。

 

今は北海道大学に逃げたいです。とても面白そうなことをいろいろやっているので。

 

北海道の涼しい夏の日差しを浴びたいなあと、そんなことばかりを考えています。

 

風が強い

 

 

数年後にすれ違ったら、思わず手を伸ばして引き止めてしまうようなあなただけが友だち

 

シロツメクサと河原でひなたぼっこして、マンホールの上でジャンプ、、、

炭のにおい、

 

 

自分には愛が足りないなあとおちこむことがずっと続いています。年々、愛と、頭の働きが失われていきます。1番の愛はもう死んでしまった友人が天国?へ持っていってしまったので、もう触れ合うことができないし、わたしが生み出すしかないのです。おジャ魔女どれみを見て、本当の愛に打ちのめされて、わたしにこれはない、わたしにこれはない、、。

 

愛を受ける側に問題があるのでしょうか。こんな人に愛を差し出す意味があるのだろうか。と思ってしまうこと何度もある。飛び出した言葉を一度も手にしてもらえずに、そこに置かれることがある。邪に受け取られてしまうことがある。帰ってこないのに与え続けること、わたしにはできないのかな、と悲しくなる。無理じゃないよ!と心のどれみちゃんが言う。ナニワの根性見せたる〜〜とあいちゃんがいう。わかる。わたしの手が冷たくなるまでは、ずっと愛でなくてはならない。愛になるために、選ばない、選ぶのはわたしではない。やさしく、人に優しく、ずるいことをしない。しっかりと物事を見て考えることを怠けないで接する。怒りを眠りに変えていく。

 

大切な友達が離れる前にくれた、ピンクの軸のボールペン。私からはこんなものしかあげられないけどいつかちゃんと、お礼をするからと言って渡してくれた。包み紙から、友達の匂いがして捨てられなかった。私のお守りにしているボールペン、見るたびに愛の深い人間のことを思い出せる。

 

たまには鬼ごっこがしたい。

 

おばあちゃんと毎週合わなくなって10年くらいが経つ、老人ホームにいるおばあちゃん、今ならもう、おばあちゃんが死んじゃってもそんなに悲しめないかもしれなくて怖い。

笑ってほしい。

 

さみし?

 

河川敷にきた、今日は風が弱くてふらふらと歩くと怪しい人に見えてしまう。

 

歩きながらさみしいなあとおもう、

 

 

100メートルも先のおじいちゃんが、今日は富士山がきれいに見えるねと言ったのが聞こえたけど、どっちに見えるのかわからなかった。