前々回、次回ポエム書きます!と言いましたが書けなかったね。尾崎豊の曲聴いてたら、全歌詞キレッキレでもうポエムなんて書く気なくなった。
昔はずっと、心の底から存在を憎むような、嫌いな人はいなかったのに、最近はたくさんいるのが辛い。もしかしたら昔は嫌いじゃなかった人たちも今見たら嫌いだと思ってしまうのかもしれないこともきつい。
具体的なことを書くのも気持ち悪いくらいだけど供養のために書き出す。
基本的には己の性に価値があると思い込んでいる女が胸糞悪い。女の子だから許されるだろうという中学生あたりから出てくる終末を感じざるを得ない考え方。完全に場末。それでいいのか、そんなことで評価されて嬉しいのか、40になっても同じように生きるのか。60になった時になにが残るのか。ニコニコするな、きちんと自分の意見を持て、何か言え。
女を最愛の対象としてしか見られないような男性の存在が悲しい。そういう人間はもっと真の愛に打たれろ。真摯に生きろ。刹那的な肉欲に支配されるな。相手に対して申し訳なさを感じろ。この類の人間が目の前に現れた時、自らが女としてのみしか認識されていない場合があるということを認識させられて、とても苦しい。本当に悲しいし、ほとんど人間としての人格を否定されたように思う。
大人になって自己の男性、女性としての特徴を売り物にしようとおもうな。しんの底ではそれを虚しく感じたりしているとしても、表面的にでもそういうことはするな。
高校生の時、自己の存在証明としてのセックスを認識して以来人生がしんどすぎる。
肉欲に支配されうる自分の存在も気持ち悪いし、そのような世の中の人間を見るのも気分が悪い。
昔から、性行為=忌むべきものと教育されたというだけなのかもしれないが(母はセックスのことを良くないことと表現した)、世の中に対して堂々と性的コンテンツをばら撒き、評価される人々がいることが受け入れられない。二次元は大丈夫なんだが、正気の人間のすることではないと思う。せめて、どうにもなくならないというのであれば、もっと隠れて行われるべきだと思う。
不用意に目の前に現れないでほしい。
きついから。
かなりしんどいから。
自分の中からも女性的な部分を消しきれないことが一番悔しい。以前よりも随分自分自身に鈍くなってしまった。そのことを認識するたびに一層苦しく思う。
苦しすぎるので尾崎豊の歌詞を書きます。
愛の消えた街さ昔から
そうなのだろうか
それが当たり前と言うには俺はまだ若すぎる
見つけたい 見つけたい
愛の光を