新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

平凡な幸せ

中学や高校の時から、普通に結婚して普通に幸せな人生過ごせたらいいというようなやつらが、信じられなかった。負け組思考どんまい。と思ってバカにしてきた。そして今も、彼らのいうところの普通の幸せというものが具体的にわからないまま。無理をせずに手に入る範囲の幸せが自分の望んできた全てだと感じるように努力する、という風に解釈している。あるいは、本当に欲がないのか。

 

いわゆる普通の幸せ、恋愛し、結婚し、子供は2.3人、1人では家族全員を養えない程度の収入の夫を支えるため仕事をしながら、ママもして、時にはおばあちゃんの力を借りて、、、、

こういうイメージなんですけどね。完全にうちなんだよな。なんだかんだ言って大阪の貧乏なおうちの、幸せってこんなもんかと思ってしまうんだ。必ずどこかに、眼をつぶるべき箇所があって、それを努力して押し殺して自分は幸せなんだと言い切らないといけない。そういうのでいいのかと、身近な例を見ていてそう思っているだけなんだけど。普通の幸せ云々いう人たちの思ってる普通もきっと自分の家のことだと思う、大抵。

 

そこまで思って自分が結婚するとしたら(わたしの場合結婚と子供×2はハッピーセットなので)、自分の子供たちにはなるべく上等な普通を与えてやりたいなあと思った。根が貧乏人なのでわたしが思いつく上等な普通っていうのも、本当に平均をとれば普通なのかもしれないが。自分の思うすごいものを普通に押し下げるために一生懸命働いてお金持ちになる、っていうのはアリアリやなとかなんとか考えながら、化学調味料をかじる。胸焼けがする。