新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

子孫繁栄

 

階段を下りるのが面倒なので、エスカレーターに乗る、なぜか速さが小さくなるのでエスカレーターの上を歩く、それでもまだ遅いので一段とばす、そして転げ落ちる、うーん、これが一番早い。

 

子供を産むことは、自分の存在を証明することに等しい。でも、ただの証明にしては、不確定な要素を持ちすぎているのではないかとおもう。ほとんど自分と同じものが、自分の思う通りには育たない。完全にジゴクだ。3歳くらいの自我を持たない子供を好きだった自分が正しいと思う。

 

自分の人生にさほど大きな悔いがなく、概ね満足している人間は、きっと、自分は自分、子供は子供だと、よくできた大人のようなことを心の底から言えるのだ。私は無理なのだ。私ができることはこれから先ももっと増えるし、きっと私の満足指数もうなぎ上りであることは確かなのだが、私の子供にはまだ残されていて、私にはもうない〜18歳の人生は、私にすればずっと変えたくてたまらないもののままで、新しい理想のそれを体験する術は子供の半身を通しての体験のみだから。私はなんとしてでも自らの理想の上を子供に歩ませようとするだろう。それがきっといいと言い切れるから怖い。