女子大生雑記録

ここは、ほんとの部屋

存在以上の価値

 

いろんなことが頭の中に浮かぶ、例えばどうしてうちの大学の門は修理したあと勾玉的なモチーフが大々的にあしらわれたのか。落し物という言葉は正しそうだけど、あ、あなたいま物落としましたよ。という日本語は正しいのか。そんな全ての問題を考えていても近頃はいつのまにかそういった全部が人間の好き嫌い問題に置き換わる。思春期なのか。

 

ある人間に対して好き、嫌いという感情を抱くことは一体どういうことなのか。全くわからない。他人の好きなところなんてあげられなくても、毎日同じ教室で顔を合わせていた同級生なんてほとんど全員好きだとおもった。今はもう目の前にいないのでなんの感情もないが、心の底から嫌いだとおもった同じクラスの人間はいなかったはずだ。たぶん。金を持っている、顔がいい、優しい、統率力があるなど、存在以外の人の要素は私にとってどれ程の魅力を持つのだろうか。その指標を私は明確にもっていない。それぞれの要素にかかる重みが簡単に変わる。その度に一番が変わって、しんどい思いをするのが嫌だ。でも自分の認知が歪んでることなんて、毎日のように感じるのにどうして自分の判断を正しいと認めることができるか?できない。開き直って、私はこういう人間です!と言い張る愚鈍さが欲しい。私はかしこすぎる。

 

なにかを考えていると、過去をスクリーニングすることが多い。今も過去に飛んでいた。いつもまず、思い出すのは母親。母親がするようなこと、炊事洗濯掃除などキチンとしていたとは思うが、親になるには精神が少女すぎる。友達に愚痴を言うように、親戚の愚痴を私に言う。中学生の娘が、おじいちゃんの葬式に行くだけで裏切者呼ばわりしてきた時には、割と傷ついたよママ。てめえが行かねえから私が行くんだよ。反抗期の子供のクソババアシネに対して死んだるわと包丁を持ち出された時には一気に冷めた。母のことを見ると自分の将来が不安でしゃあない。こんな女になるのではないかと言う不安しかない。母のようにならないために周囲を分析するようになり、今度は父のことを考える。父は事なかれ主義で、プライド星人だと言うのが最近の私の見解だ。中学生の子供から見てもはっきりするくらい、母は父のことが好きだった。母は基本的にコミュニティが狭いので(これに関しては最近改善の兆しがあり、娘としては喜ばしい)、我が家が世界の9割なのだ。そしてその9割のうちの8割が父なのだ。側から見ても健気に尽くしているように感じた。父はそれに対する見返りを与えない。母がヒステリックに騒いだ時、父が母を女的に感じているようなそぶりを一瞬、一言熱量のあるように聞こえる言葉を(嘘でも)投げてやれば場が収まることはもう全員がわかっているのに、それができない。なんで?と一度聞いたら、なんでかわからんと言っていたのでプライドが許さない的なやつなんやと思われる。そして、知らん顔しておきながら、母のヒステリーに耐えきれなくなったら手をあげる。しち面倒。昨年夏帰省した際に、父の口から母のことを面倒に思う、的なことを聞かされた娘は自己の存在を否定されたように感じ、やや父を憎むようになった。母を哀れむようになった。自分が女なんだなと感じて気分が落ち込んだ。

 

家庭教師のアルバイトをしているので、他人のうちに上がることも多いのだが、どの家もうちの家族とは違う、まあ当然なんだけど。この家のママは激昂しても包丁なんて取り出さないし、娘を裏切者とか色気付きやがってとか言って辱めることもないんだろうなということが推察される。それで多分世の中の大抵のお家ってそうなんじゃないかしらということに気がついた。自分の認知の歪みを確認した。わたしが普通として送っていた日常は他人から見たら眉をひそめるようなシロモノだったのかもしれない。そしてまた結婚が怖くなる。きっと相手が立派であればあるほどビビって逃げ出したくなるんだろうな。

 

結婚といえば、理性的な人間たることを人生の主軸に据えているわたしが、子供を作りたいと考えることは愚かしいのかも、ということに気がつきはじめた。コントロールできない自分の分身を世に解き放つことは恐ろしいし、精神に良くないと思う。まずそもそも子孫を残すという行為がありえん本能的で気持ち悪くないですか。

 

おととい同居人ちゃんに、君は中学の時などに比べて言葉に感情を乗せることが上手くなったと言われた。確かにそうだとおもった。嘘をつくのも上手くなったんだろう。