女子大生雑記録

日々の面白いこと面白くないこと

心のお花畑

 

今回の話は、もしかしたらブログにも書いたかもしれないけど、記憶にナイのでたぶん書いてない。

これは去年の末にかけて気がついた事柄ですが、私は心の中にお花畑があります。今はお花がいっぱい咲いているからそう呼んでいますが、前には、ていれの行き届かないお花畑だったこともあるし、焼け野原だったこともあるし、ひび割れた大地だったこともあります。

私は友人には非常に恵まれた人生を送ってきているし、これからもその予定なので、この心象風景は友人関係に左右されるものではないと言うことはすぐにわかりました。では、何が私のなかにそんなに影響するのか。お花畑という単語から連想するに容易い、恋愛感情がそれです。これはいい傾向だと直感しました。よくよく考えてみると直感は正しく、これは親からの独立の覗える結果であるのです。言い方を変えれば、親からの承認を夢見る気持ちのいくらかをあきらめることに成功したのです。もちろん全部ではないが、私に対する態度を変えてくれない親へきたねえ言葉をぶつけて疲れることに疲れた私は、早くあきらめたいと、常々祈っていたのです。東京に来て4年目を迎えようというこのときに、19年間の画策を経て実現した実家離脱の効能が現れたのです。過去の私本当によかったな。さて、親の重みの減った私は100%を保つために新たな項を追加しました。それが先に挙げた心のお花畑の管理人、恋人になります。

 

今までは、他人から得られない自己肯定感を自身でどうにかこうにか、捻出しなければ、脅迫めいた焦りと、恋人の存在に頼ることと依存との線引きに尻込みしていたのとで、心のお花畑予定地はあったものの、自分で耕して、種をまいて、肥料をやって、毎日水をあげて。完全にキャパシティオーヴァーなので維持できるはずもなく、ますますの自己肯定感の消失、ということを繰り返してきたのです。いちどは花畑メンテナンスを放棄した私ですが、そこにお花の苗を持ってきて植えてくれるひとが現われたのです。なんてことだ、青天の霹靂、目から鱗、棚からぼた餅、寝耳に水。騙されてんじゃないかと100万回疑う、オタクのいうところの女に話しかけられると疑うという感情を体得。

これのすごいところが、お花畑にお花がやってきて、それで終わりじゃないのです。お花を植えた人は、また新しいお花を植えて、お水をあげてくれて、肥料もくれるから、植えたお花は元気に育つし、土も肥えてくるの。わたしがすることといえば、そばに立てたハンモックの上から綺麗だねえとお花たちを眺めることと、たまには育ったお花を摘み取って花束にして送り返してみたりするくらい。あとは、会わない間に、お花を枯らさないように、ほんの少しだけ気にかけるだけのこと。なんかこんな世界もあるんだなあと、日々感謝のマインドで軽く宗教。最近気になるのは相手のお花畑はどんな感じなんだろうってことですね。知らないうちにわたしが花を植えれてたりするんでしょうか。

 

なぜ今回こんな似非口調かというと、すくなからずの恥ずかしさの下に書いたからです。余談ですが、私のお花畑の構成員は季節問わず基本的にコスモスとチューリップです。