新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

こころの

形があると思う。実際に星型、ハート型とかそういうもんじゃないけど、こころのかたちのようなもの、それは自分にさえ全容はわかってないもの、だけどふとしたことで露わになるもの。私はこれが好きなんだ、こういう言葉で行為で傷つくんだ、どんな、思考を持ちやすいんだ、エトセトラ。そういう、感覚のかたち、これをこころのかたちと以下表現することにして、お話を進めます。

友達と恋人、何が違うのかなって考えた。私にはとてもとても大切な友達が、いる。彼は本当に大切で本当に幸せになってほしい人だし、可能ならば自分が幸せにしてあげたいと常々思っていたが、自分が彼を幸せにしてあげる(恋愛関係において)ことは、友情の破滅、世界の終わりを意味するので提案することはできなかった。そもそも彼も私も性の存在を認めたくなかったから付き合うという結論に達することが不可能だと思っていたし、実際彼が恋人を作るところは、あまり想像できなかった。だから彼を幸せにする方法が思いつかなかった。だから、彼に恋人ができた時、本当に嬉しかったし、安心した。その彼女は私と彼の友情を認めなかったが、それでも良いと十分に思えた。

では、これほど、愛を持っていて、なぜ彼と私は恋人になれないのか。理由はこころのかたちにあると、最近ようやくわかったので書いておく。私と彼は友達。それは、お互いのこころのかたちが似ていること、を意味する。私にとって、友達は、こころのかたちが似ている人。自分と同じようなことで傷ついて、同じようなものにときめきを感じる人。本質が同じ人、を指す。これにも程度があって、たとえば、同じ本を良いと思う人、から、同じ本の同じフレーズで心を震わせる人、のように。私が友達だと思う時点で同じ本が好きなことは大決定している。が、彼がなぜそれほど大切なのかと考えれば、ほとんどすべて、私の心と同じ形をしているからだ。だから、二人して同じだねって言い合い、気持ちが分かり合い、そしてお互いに、自分のことを好きなのと同じだけ、相手のことが好きなのだ。でも、全く同じではないし、お互いを助けたいと思っても、本当の本当の本当の意味で、こころを埋め合うことは、難しいんだと思う。だって同じだから。でもおんなじだから、お互いのことを心の底から信じて助け合うことはできる。

 

こころを埋めあうのは、恋人のお仕事だと私は思う。恋人は自分と同じこころのかたちを持たない人。真にお互いのかたちを知りあうために常に努力が必要な相手、お互いのこころのかたちを探りあいながら、求めるものを与えようと思う相手。その行為を通して、好きな気持ち、愛の程度が、伝わると思う。だから、相手からそういう気持ちがうまく感じ取れない時に、悲しさを感じてしまう。私のことが大切じゃないんだ、寄り添う気持ちがないんだと、泣き喚いてしまう。自分の好きなもの嫌いなものを覚えていてもらえないときとか、そういう気持ちになりませんか。相手の行動に試行錯誤の跡を見て、満足することありませんか。