新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

一人分以上の

 

破滅的な最後の気配を毎日見ないふりして過ごしている。恐ろしいほど静かに、怒りが、広がって行く。悲しさはなくなった。人に期待しなくなる、ということの本当の意味を知った。これか〜と、心の底から人に冷たく当たれる自分を始めてみて少し感動している。心が動かなくなることってあるんだなあと。相手に接する時に、自分が求めているものを想像しているはずなんだし、相手に何かをしてあげる時も、こうすれば相手は喜ぶんじゃないか、と考えて接しているはずなんだけど、そもそも、そういう考え方を持たない人間がいるらしい。きっと子供の頃からそういう風に人間に接してもらうことがなかったんだろう。だから、他人と一緒に過ごす上での行動の原理をそもそも持っていない。そういう人を責めるのはかわいそうだし、とはいえ、自分自身見返りのない愛を注ぎ続けようとしてもそろそろ在庫切れを感じます。

 

いま、院試勉強をしています。脳が生き返ってきて、文化的な生活がしたいなあと、しみじみ思って涙が出ます。1人では、文化的な生活を送ることって本当に難しい。実家にいたときは、母親が料理や、昼ドラ、家事の仕方を、父が野球や釣りやらを、妹たちが若者の文化(?)を、それこそ避けようがないくらいに、どんどん新しい情報が入ってきていたのだなと思います。自分から行動しなくても、受け身でいるだけで新しい情報がたくさん入ってくる環境、一人暮らしでは得難い。たまに、1日かけて友達と車に乗ってどこかに出かける日、目につくものつくもの全部にあ!とかすごーい!とか言って会話する土曜日がわたしは今一番愛おしい。会話をベースとして自分の思考、知識を整理して、かつ、自分1人では目につかない情報を得るような日常。