新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

おばあちゃんおじいちゃんおばあちゃん

大阪に帰って、大阪のおばあちゃんのところへ行った。もう6,7年老人ホームで暮らしている。5Fワンフロアの老人ホームに10人くらいのお年寄りと、3人くらいのヘルパーさんがいる。前に行ったのは、多分三年は前のことで、その時の記憶からすると、おばあちゃんはかなり、知らないおばあちゃんになっていた。右半身には麻痺が出て、ろれつがうまく回らず、私たちの話は理解していても返事がろくにできない。左目はどこも見ていない。怖いなとは思わなかったが、知らないおばあちゃんだったらきっと怖いだろうと思う。85歳くらいのはずだ。毎日血圧が200を超えて、毎日頓服を飲んで、毎日死にかけの思いをして、毎日誰かが会いに来るわけでもない。父はもっと会いにいくべきだと思う。おばあちゃんが死んでしまえば一番沈むのは絶対に父なのに、知らないふりをして、自分が会いに行っても喜ばないなどと言って、素知らぬふりをしても近すぎる死は遠ざかるわけでもなく、ただ準備の間に合わないうちにやってくるだけなのだ。わたしは今回、はっきりとおばあちゃんの死を感じ取ってしまった。冷たくて皮膚が薄すぎる手から、ニコニコと笑う顔から、椅子に座るたわんだ背骨から、とっても、とっても感じてしまった。わたしはもう、東京に帰れば次には会えないかもしれないと、しっかりとしっかりとおばあちゃんを見たのにね。

 

次に鳥取米子市に住むおばあちゃんおじいちゃんのところへ行った。そちらはまだまだ元気で、庭の世話をしたり、鳥の世話をしたり、鯉の世話をしたり、グランドゴルフをしたり、暮らしている。おじいちゃんはどうやら、終活という言葉を覚えたらしくしきりに使う。90歳を超えたらNHKののど自慢に出てやしゃごのために歌います、とやってくれるらしい。それでもやっぱり二人とも歳をとっている。

 

はっきりと老いていく祖父母と、年々みなぎってくる私。このコントラストが恐ろしく残念で、子供は若いときに作るべきだとまた思う。若いおばあちゃんが幸せだ。若いおじいちゃんが幸せだ。子供が20歳になっても、一緒に出かけてあげられることが幸せだと思う。きっと25までに子をなして、母をまだ若いおばあちゃんにしてあげたいとか勝手に思った。