新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

せいかつ

朝起きて人と話をすることができる、それが毎日になったことが今の私のしあわせ。

友達と恋人とが私の心の全く違うところを守ってくれている、私にとってはそう。友達に言えることは恋人には言えないし、恋人に言えることは友達には言えない。この差別化が私にとってとっても大事なことなのだけど、この差別化が、私自身を苦しめて、人間関係を面倒にしているのかなと思うことも多い。

 

心の中身を誰にでもオープンにしてしまえば、そこには愛のない、苦しい世界が、あると思わないか。私は人間は皆いい人だという認識のもとに生活しているけれど、それは、みんながみんな、心にある負の感情をどれだけ薄い皮であっても、それで包んで胸の中にしまっている、しまうことが出来る、しまおうと努めている、ということが前提なのです。その行為自体が優しさであり、人をいい人足らしめるすべてなのです。

 

少し距離が近くなれば、相手の負担にならない程度の、共感を誘える程度のものを取り出してきたりして、私はこういうことが辛いですよ、と見せてみたり。最新の注意を払って、マイナスな気持ちを並べ立ててみたり。

 

恋人ができれば、この人は私の心を守ってくれるかしらと確かめるために、もうちょっと意図的に、意地悪な方法でもっと深くまで、みせてみたり。

 

それでもやっぱり泣きつけない苦しいことは日記に書いたり、ブログに書いたり、と空に向けてぶつけたり。

 

この階層が他人とずれていると感じる時が一番苦しいね。私はあなたにそんなにすべてを見せられても怖くて耐えられないよ、逆にどうしてあなたはここまで見せてくれないの?私ばかりどうして?あなただからこれを教えたのに、どうして誰かに言ってしまうの?

 

毎朝、わたしの(素晴らしく重いがくだらない)つらい話は、彼の(とてつもなくくだらない)つらい話の前に完全敗北。口に出す前にどうでもよくなるのだ。