新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

オリンピックの金メダル

わたしにはない。

 

昨日学科のみんなとディズニーランドに行った。めちゃくちゃ楽しかった。その楽しい気持ちを見せ付けたくて、ラインのアイコンを変えたら、母親からなんなんこの写真めっちゃブス!と連絡が来たので泣きながらブロックした、さようなら。

 

最近どうなの?って聞かれて彼氏の話をするたびに否定されるのもしんどくなってきた。アンチかよって笑うのも楽でいいんだけど、あなたはわたしのメンヘラを100まで吸収してあたいの心を守ってくれるのか〜とおっきな声を出して地面をコロコロ転がりそうそろそろ。

 

錯乱が解けたので続きを書きます。

 

女の子に生まれるというのは、生まれた瞬間から、みんながみんなオリンピックで金メダルを目指せと言われていることと同じなのです。男の人には、生まれたあとに、男の人として生きること以外のことが許されているように(わたしには)見受けられますが、女には女として生きる以外に広く世の中に受け入れられる方法はないのです。そして、それは、生まれた日からコツコツと、積み重ねて行くものなので、24歳ともなるともう、20になるくらいにまでサボり続けていた、その機会を与えられずにいた私なんかだともう、どうしようもなく周りに遅れてしまっていて、やる気を失ってしまうくらいなのです。

今までそんなことを求められたこともなかったのに、頭が良ければそれで良かったのに、思慮深く、人に優しく、正しいことを言い、悪いことをしなくて、物分りが良く、面白い人間であれば、素敵に生きてこられたのに。それだけではダメなんだということを、親の手から離れてから気づかされる虚しさと言ったら、たまらない。

可愛らしい女であることがどれほどわたしにとって苦痛であるかを理解されたい。わたしはそうじゃない、可愛い女の子にあこがれて、可愛い女の子のコスプレをする初心者なのだ。ごっこ遊びをしているだけなの、24時間365日女の子をしているわけではないのです、そんな体力も気力もない。でもそうしていることが、息をすることと同じくらい当たり前の人たちに絶対勝てなくて、物事の良し悪し=勝ち負けだと思っているわたしは、悲しい気持ちになってしまう。

 

この話の終着点はわたしの彼氏がすごい、です。さて、どうやってたどり着くでしょうか。先に書いたようにわたしはいわゆる女性としての魅力をあまりもたないし、それをわたしの魅力の主力にすることを良しとしていない人間です。だけど、女の子のコスプレをした日にはそれも褒められたいのです、なんなら、コスプレをしていない日でも、外見以外の要素に対して可愛らしい、と感じて欲しいのです。私の彼氏はそれができます。私が彼と違って頭が良いことを褒めてくれるし、何をしても褒めてくれるし、錯乱したら話を聞いてくれるし、構って欲しいといえば構ってくれる、24時間体制に近い体制で面倒を見てくれるのです。こんなに面倒なことを、好きだからの一言でできる彼をすごいと思う。閉じた世界に二人でニコニコといたいと思う。

 

あなたは私のために生きるんでしょ、といった私に好きだからそうするよ、と言った愚直さを一生信じたい。