新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

そだちのよさ

 

学校に来て人とたくさん話すといろんなことに気がつき始めた。

当たり前のことなのだけど、学校っていろんな人がいる。本当に当たり前なのだけれど、いままで4年間碌々学校へ来ていなかったし、特定の2,3人としか継続的に会話をしてこなかったので、そんなことも忘れていた。

大学の人間は、少なくとも同期の人間については、高校や中学や、少し言い過ぎかもしれないが、小学校の同級生たちとはちがう。完全に質が違う。

 

記事ここで5ヶ月くらい止まってた。

 

質が違うのは本当で、私がわざわざ頭の良い学校へ来た甲斐があるとおもう。やはり有る程度を超えた通う価値のある大学へ通える程度まで育てられた子供はきちんとした教育を受けている。教育を受けている、当然処理能力の面へも当てはまる言葉だが、それよりも重要なのが道徳教育のことである。いつの時代にも当てはまり、老人であれ若者であれ適用される、普遍的な常識、これが道徳であると池上彰の本に書いてあったのだが、まさにそれ。私が人生において大切にコレクションして、守ろうと心がけている概念の数々。これらをきちんと、与えられてきた人間であるのかどうか。意識の外にでもそれが存在しているのかどうか。それが教育を受けてきたかどうかの基準なのだ。それだけでも十二分に育ちが良いのだが、そこに健全さが付随するとさらに素敵な人間になるんだなと思った。健康な明るさって私が説明するやつ。

 

たとえば、素敵なものを目にすれば素敵だねと言える、悪いものに良くないよと言える。人の頑張りをほめる、頑張らない人を励ます。私にはあまり備わっていないなあと思う。プラスの気持ちを素直に声に出すことは、近頃実践しているが、思うようにはいかない。うまく言葉が走らない。確かに考えて見れば、人に向ける言葉なんてポジティブなものと批判との2種類で十分だなあと思うもの。

 

これは小さい頃からの周りの人間に依存するなあと思う。道徳は周りから与えられる以上に、本なりなんなりから意図的に身に付けた自覚があるが、自分の話す内容なんていうものは周囲との摩擦のうちに鍛えられたもので、当然影響を受けまくっているので、周りの人間の質に左右されるのだ。悲しいぜ。なのでとっても憧れる気持ちになりました。

 

でもボケとツッコミは許してほしいし、みんなももっと身につけてほしい。