新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

自分よりも健康でない人

友人を眺めていると、大半が自分と同じくらいか自分よりも健康でないように思えてくる。

それを見て少し安心して、自分程度の境遇で気持ちを落ち込ませるのは情けないのではないかと思う(根性論の刷り込み教育)。思考を支配されていることでさらにストレスが溜まる。また気持ちが落ち込む。それでも頑張って生活しようとした時、電車の中、大学、健康にしか見えない人々を目の前にして気持ちが焦る。世の中で気持ちが落ち込んでいるのは私だけなんだと気づく(誤り)。人々が敵に見える。目の前にいない不健康な私の友人たちを疑い始め、彼らもきっと本当は健康なんだと憎しみがわく。大半の人は実際にそうなのかもしれないし、そうでないのかもしれないし、目の前にいないからなにも分からない。目の前に辛さを抱えた人がいたとしても、私が共感できない辛さは辛さだとは認識できないから、表っつらの同情しか示すことはできない。例え私と共通項のある辛さを抱えている人がいたとしても、それが今経験されていないものでない限りは心から辛いんだろうなこの人とは思えない。それでもまだ、いくらか辛い辛いと言っている人を眺めている方が気持ちの振れ幅は狭くなる。

自分よりも明らかに健康でない人を目の前に見ることが一番救いになるけれど、ここまで書いて悲しくなったのでもうやめます。