新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

消費

 

世の中には、3種類のビッチがいるとわかった。消費されるビッチと、消費するビッチと、消費させるビッチの三種類で、わたしは、真ん中と後ろのビッチは許せると思う。

 

基本的にビッチは見てて面白いので好きですが、消費されるビッチは馬鹿みたいだなと思う。自分本体を商品にして叩き売るのは愚かしいと感じる。せめて消費させる側にまでは登ったら?と、なる。消費させる側はまだある程度までターゲットとする消費者を絞っていて、望ましい感じがする。

いちばんいいのは消費するビッチ、これはある種の憧れすら抱くところがある。性行為は女性が男性を消費するという立場を手に入れられる唯一のチャンスといってもいいのではないか。流石にわたしの想像力が乏しいか?恋愛は対等な立場推奨派、というかそもそも恋愛に商品価値を持ち込むことを良しとしない立場に固執する純愛厨なので、恋愛は相手を消費するようなものではいけない。結婚は、女性が男性を消費する手段の1つではあるけれども、そういう立場を手に入れるためには結局努力が必要だし、相手に対して真摯に対応することは不可避だ。言い換えると現実的にはあまり取りたくない対応とも言えるし、そういう結婚は虚無っぽい。

 

 

消費するビッチは自ら選択的にポジティブな意思を持って気持ちの上では一方的に男性を消費するから強いと思う。お手軽感もある(知らんけど)。童貞筆下ろしモノのエロ漫画とかそういう感じやん。あれはあれでキモいけど。

 

少しナンパされただけで生身を消費されたような気持ちになってキツイので、男の人もゲイの人から性的に見られて消費される気持ちを味わえば。消費者にしかなれない男性が多いことは哀れだけど事実だし実際心からかわいそうだなとは思うけど、よそでやってくれ。

 

わたしは消費者にはならないので、すれ違ってもナンパしてこないでくれよな。