新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

私信です

 

先週、大学で所属しているプログラムの学生で集まって話をする機会があった。まる二日かけての合宿のようなものが企画されていて、オンラインではあるけれど、一日中ほとんどずっとzoomの部屋に入り浸って朝まで話したりした。友達というほどの間柄でもないんだけど、その辺の知り合いよりは真実を話し合えるような間柄の数名と、朝の6時くらいまでおしゃべりしていた。

その時に気づいたけど、どうやら私の友達基準は結構厳しいみたいです。好きと嫌いなら好きのゾーンには入っているけれど、友達なのかなんなのかわからない人が、たくさんいる。友達は自分にとってどうでも良くない人、いなくなったら、悲しいとかじゃなくて(実際)困る人、そうじゃない人は私の中では友達と自信を持っては言えないようです。相手は自分のことを友達と思っていないかもしれないから、という自分の格好つけな部分も多大に影響しているとは思うけどね。好きでいるより、好かれたい、みたいな。

ともあれ友達が少ないのは事実で、その理由の一つに、自分の価値観を歪めたくないから、と言うのがある。自分の考えと離れた人が友達で、うんそうだね、ってその価値観だけを放っておくことがうまくできない。というか、友達が明らかに歪んだ考えを持っていたら正したい。それが人に対する愛だと思う。だから、友達をたくさん抱えすぎると手が回らなくなって、愛で居られない自分のことも嫌になるし、友達の嫌な部分に触れないままにその嫌だけが増幅して行って、実際会えば楽しくて、いいひとで、また嫌な気持ちになって。繰り返しています。だから極力そう言う思いをしないように、友達の線の中にはほとんど人を入れないように、愛を持って接することができる人だけを、そう言う人が周りにいる人だけを、もともと愛な人だけを、そんなことは全て捨ておいても好きな人だけを・・・。

そして、友達とは別の魂のお友達を何人か、私には今まで2人です。これは愛になりたい人、愛になろうと頑張る人、愛でない自分に心を傷つける人。怠惰で、諦めかけています。

 

私も最近悲しいことがありました。ちょうどその合宿で、プログラムの企画として面白いアイデアを出そう、と言う話し合いの場が設けられ、私は自分の感情の赴くままに、結婚・出産にフォーカスした研究キャリアとライフプランについて考える会を開く、と言う案を出した。まあ、地雷踏み抜きそうではあるけど、プログラム自体が半数女性という特殊な環境だったのと、まさかここまできてそんな愛のない人はいないだろうと、発表したら、無記名アンケートにて、「自分のライフプランに結婚・出産を含めてない人には魅力がない企画です。(まあ、参加しなければ良いという話ではありますが)」というコメントを残した人がいて、私はブチギレ、東京は焼け野原になりました。まず、マイノリティに配慮することと、マジョリティ向けの企画をすることとには関係がないし、(〜〜)に書いたことをわかってるならそもそもコメントしてこなくていいし、コメント者に愛がない。そんな人に心をかき乱されすり減り、一週間経ってもまだ悲しいしイライラしている。ぽちぽち打ち込みながらまたふつふつとして来ています。そして、こういう嫌な経験から、性別や、精神疾患、障害などの問題からますます目を背けたくなる自分にも愛がなくて悲しいです。でもあまりにも感情が先行しすぎてると思うねん。。。でもこの話はもうやめます。

 

もう3月になるし、梅とか見にいくと楽しくて良さそうですよね。