新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

もどらない

 

 

今日は、気乗りしなさすぎて、実際することもなくて、午前をサボってしまいました。それでも1ミリの進捗?をもとめて、電車に乗ってきた。

 

大学院の院試を終えて、第一希望の研究室へ受かって、自己肯定感の塊になろうと、新しいがんばれる子わたしに進化しようという作戦はなんと失敗に終わってしまいました。試験に落ちたわけではないです。第一希望の研究室へ受かりました。来年からはめでたく東大生です。だけどやっぱりこの展開が、自分が正しい努力をした結果もたらされたことである。というふうに認識することには失敗してしまいました。わたしが、当然大学院入試に受かる程度に優秀、だったから、だと思っています。人のせいにするのも本意ではないけど、合格を報告したとき、母には入学金いくら?と聞かれて、父にはさすがやわ(わたしなら当然というニュアンス)と言われ、恋人には、え?あんなに遊んでたのによく受かったね、あなた実は賢かったのね、と言われた。妹たちには見え張ってしまったので当然だよブイ!みたいな感じで言ってしまった。当たり前に努力を褒めてくれた人が居なかった。作戦の成功は先延ばし。

 

好きな人に自分の人生をあげること、全く怖くもなんともないのに、その人と子供は絶対に作りたくないになってしまうことがあまりに悲しくて、日々辛い。でももし別れたら死ぬまで関わることはなくなるのだないうことが明確にわかっているので怖くて離れることができない。 これは愚かしいことなのかな。もうずっと会えない人はたくさんいるし、たくさん作ってきたけれど、その会えないが本当になることを理解した。人が真に死ぬのは、その人を知っている人が皆失われたときだという定説がある、わたしもそう思っていた。でもそれは生を諦めるのに十分な程度長生きしたときだけの話なんだなって。いざ近しい人が突然に死んでしまえば、その人の本当の姿はもうすでに失われていて、残るのは自分に都合が良い彼の姿と後悔と悲しさ。

 

 

しんでしまった彼との思い出が、心の中をあたためる日はやってくるものなのだろうか。

 

悲しい気持ちはまいにち知らず知らずのうちにわたしに迫ってきて、きっかけがあればすぐに頭を出す。気を張って、日中に疲れ果てて、変えれば疲れて寝落ちして、頑張って追い出さなくてはならない。わたしの心を守れる人が、今わたししかいない。片手を貸して私の心を守ってくれる人をずっと探している。