女子院生雑記録

22時ちょうど 東京駅発

へたこ

 

自分は何ができないのか?それを考えることに意味はあるだろうか。

今時点で、出さなければならない学振の書類ができていない。明日の学会で発表するためのポスターができていない。授業に出れていない。運動もできていない、時間通りに動けない、時間に押されない、ギリギリにならないと何も手につかない。

バイトはできている、ご飯も作れている、掃除やゴミ出しもできる。貯金もできている。旦那さんと仲良くしている。実家やおばあちゃんに贈り物もしたりしている。

 

家の中のことで手一杯なのか、頭が使えない。頭が動かない。今特に、今までよりもずっと頭が回らない。動く気がしない。考えていても考えていないような気がする。何もわからなくなってしまう。人とする会話でさえも心ここに在らずで、反射を返しているだけのような気がする。毎日、スマホで漫画を読んで、桃鉄をして、youtubeを見て寝転がって、時間になったらバイトに行って、ご飯を作って風呂に入ってまた寝転んで。寝転ぶことをやめることができない。今とてもいい姿勢でブログを書いている。この勢いのままに、ポスターを作り始めたい。朝の8時までにはボスに送りたい。寝転んだ後は、寝落ちするまで一生懸命何かの文字を頭に入れ続ける。鳥の鳴き声が聞こえる午前四時頃ようやく眠くなってくる。でも油断してはならない、一度の寝落ちの後、1,2時間もすれば必ず目が覚める。混乱する頭と共に。自分の認知がどこか遠くに飛んでいってしまった状態で。一度家の中を一周走り回って、布団に入って大抵はすぐに寝付くことができます。そして次に目覚めるのは15時か16時、慌ててバイトに行って、繰り返す。

 

自分はこんなはずじゃないという気持ちと、いやまあまあこんなもんやったでという気持ちが顔を合わせる。

やめなければいけないことがやめられない、これがとにかくできない。できないです。

セコイヤチョコレート

まあまあ前の下書き消費。

 

スーパーを何軒も見に行ってようやく見つけることができた。いちご味の方は残念ながら扱っていなかった。

 

小学生の頃、土日のどちらかはみんなで車に乗って隣の区に住む父方の祖母のうちへ行くのが常だった。そして、祖母は花が好きだったのでホームセンターに鉢植えを見に行ったり、たまにはちょっと遠くの公園に行ったり、祖母の家で同じDVDを100回見たり、晩御飯を食べたりしていた。そういう暮らしは私たちが小学校の中学年くらいまでは続いたと思う。曽祖母が亡くなった6年生の時くらいから、めっきり頻度は減ったように思う。今から書くことは、去年祖母が亡くなった5月に、ちょうど私が今年結婚すると思うと言う話を母にしていた時のことです。結婚する人の実家が東北だと言う話になって、母が、大阪と東北どっちも帰らなあかんからお金かかるで、と言ってきたので、確かにねえ。その点うちはおばあちゃん近くに住んでたから楽やったな、と、毎週おばあちゃんち行ってたしな。と返した。母は、毎週毎週何するわけでもないのにおばあちゃんち行くの意味わからんかった、と。家におったら家のことも出来んのに。とさらっと言った。母は本当に思ってたことをさらっと言っただけだったし、確かにその通りだと思う。祖母の家に行っていた時間の大半は本当に何もしていなかった。ただ祖母の家でテレビを見て、お菓子を食べて、お絵描きをして、週末を過ごしていただけだった。母は確かに間違いなく暇だったと思う、それにいつもいつもやだなあと思ってたわけでもないと思う。だけど私は悲しくなってしまった。おばあちゃんの葬式の前だったからかもしれない。ちょっと心が冷えた。母が欲しかった週末はどんなだっただろうか。

 

冬、おばあちゃんを車で迎えに行って、家の近所のスーパーで鍋の買い物をして、もらった福引券でガラガラを回す。一番ハズレのセコイヤチョコレートでした。

 

いじめ

今までの人生で、はっきりいじめられた。と感じたことはない。はっきり、自分がいじめをしたとか、周りの人がいじめをしていた、とかいう記憶もない。メディアに出る、いわゆる"いじめ"というものを目の前に見たことがない。

それってもしかして自分がいじめに加担していたという事実にほかならないんじゃないかなあ、とさっき思った。いじめの加担者は決まっていじめをしたつもりはないと言うし。

 

今もう、他人と擦れ合わない暮らしをしているからいいけど、もし他人と擦れ合わないと仕方ない暮らしをするようにされたら、私はいじめる側かもしれない。旦那としか擦れ合ってない今、旦那をいじめてるかいじめてないかと言えばいじめてると思うし(わがままの範疇?)。高校生までの人生、誰かをいじめてなかった自信はない。付き合う人間の取捨選択もできない。ネットにも繋がってなくて他の世界も知らない、習い事もしていない、塾でも友達はいない、学校がほんとうに99パーセント以上を占めていた私の中高生の時、誰かをきっとボコってたと思う。というか、書きながら記憶は蘇ってて、だれかれかまわずサンドバッグにしていました。

 

有り余るエネルギーの正しい使い方を思春期に学んでこなかった私は、まだなんにもわかっていません。18年を無為に過ごして、他人を傷つけてしまった罪ははあまりにも大きいのかなあ。

 

 

×脳死肯定×

脳死肯定はだめです。愛ではないからです。

 

相手を大切に思っていることを相手に理解してもらいたいとき、どのような振る舞いをすればいいか。特に対話の場面において。

相手と十分に親密で、相手が何を言って欲しいのかわかってしまう場合、そのまま相手の欲しがるボールを投げてしまう。もしくは相手のことがとっても好きな場合、嫌われることが恐ろしくて相手を全て肯定してしまう。あるいは、相手がしんどそうな場合、追い込むことを避けるために肯定してしまう。よくあることだと思うけど、これは全部愛としては不完全なもので、ほとんど脳死肯定に近いと思う。

 

 

本当の正しい愛エネルギーの使い方は、

①相手のことを恐れないで

②十二分な時間をかけて、相手の話を正しく理解しようと努めて

③どうやったら相手を傷つけたり不快にさせることなく、理解した相手の意見に対する自分の意見を伝えることができるのかを考える

です。

 

私は愛が足りないので、全ての人にはできません。が、脳死肯定になってしまわないように、気をつけるだけでもいい人になれる気がするよ。