本日2本立て
1本目
大学の友人たちが、関西方面に遊びに来ていたので会おうよと声をかけていただき、会ってきました(ありがたい感謝感謝)。私の話を(かなり多めに)聞いてもらって、友達のめでたい話も聞けて、しかもそのあと友達の1人が時間あるってんで、一緒に赤の冬服と下着の追加を買うのに付き合ってもらいました。
ほんとに、なんとも言えないありえん楽しさ、、、早く同釜飯母仲間もっとほしい、と思いました。
で、その子がね、言ったわけ。『前に誰かが言ってたいつかみんなの子どもと家族と集まってバーベキューしようなっていうの、ほんとにやりたくて…!』わーかーるーーー!!!私覚えてます。どの回のどこで誰が言ったか覚えてます!3月にディズニー行った回で、暗くなってから海底2万マイルか,センターオブジアースかなそのエリアで並んでた時に、Yちゃんが言ったのよ。その同じことを覚えてる子がいて嬉しかったんだよ。あ、少なくとも私たち3人はこれ本気で願ってるからたぶんきっといつか実現される回くるなって…5年後か、10年後までは行かないかな、それくらいにはそういう時間が来るんだって、それがほんまに楽しみです。いつも集まるみんなの人生がうまくいきますように。参加率悪くて本当にごめんなさい。もう出産終えて産む前よりは健康体なので参加します。様々なことのお祝い会開きましょう、、、
2本目
いつも絵本を読んであげるときに考える。言葉を知らない赤ちゃんは、いつもどうやって何を考えてるんだろう?自分は赤ちゃんの時、何を考えてたんだろうか。最近その謎が頭から離れなくて、若干不穏な頭おかしくなりそうな感じがあります…。何言ってんねんと思うかもしれんけど、怖くないですか。赤ちゃんに笑いかけたら笑うねん。でも楽しいとかうれしいとか、好きとか、嫌いとか、そういう言葉を知らないのに感情って持ってるんだろうか。
感情って後から説明するのんも確実にあるねん。それはわかってるねん。塾で教えてた時、毎年小学4年生に1年かけて『罪悪感』っていう感情を教えた。自分が悪くて、相手を嫌な気持ちにさせてしまった時に感じるごめんって気持ち。こういうふうに説明した。でもこれはごめんって気持ち、申し訳ない気持ちをすでに知ってる子どもに教えたわけで、じゃあそのごめんって気持ちはいつ、わかったの?ごめんなさいしないといけない場面に来た時に、やっぱりごめんっていう言葉と共にうまれた気持ちじゃないの?例えば喜怒哀楽が本能的な感情だとしたら、それ以外の感情は言葉と共に生まれるものなのかな?どれが原始の感情なのかな。今の所私が赤ちゃんから感じるのは嬉しい(興奮?)、怒り(これも種類の違う興奮?)っていう2つかなあ。なんかベクトルの違う興奮状態がいくつかある感じにみえます。
この興奮状態の微妙な違い、興奮してない時の気持ちの揺れにこれから名前をつけて教えてたり、自分で気がつけるように導いていくのが私のお仕事なのかな。それが動物を人にするってことなんかな。
私はもう大人になってるから、そして言葉が大好きだから、言葉を使って考えるってやり方しかわからない。それが少なくとも方法の一つとして間違ってないとは思う。やっぱり知らない概念とか、言葉を使って物事を考えることってできない、使える道具が少ないと難しいこともできない、効率的な方法も探せない。知ってるだけでできることが増えるし、自分はそれで助かってやってきたから、それを子どもにも教えたいなと思うけど、やっぱり今の赤ちゃんが何をどうやって世界を見てるのか、どのくらい何がわかってるのか、知りたいなあ。