新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

体調不良

 

6/25から、書きかけの記事を残してずっとほったらかしていた。ずっと体調不良なのだ。

右の肩、首が痛い。寝付きの悪さからくるのか、頭痛と体に熱がこもった感じ。

この体調不良に直接原因と言えるようなものはないと知っていた。あれば嬉しいがないのだ。だがあまりにも病院に行け行けと言われるので仕方なく、今朝行った。

本当は先週の夕方にも行った。肩が痛くって骨が折れてるんじゃないかと思ったから。

原因に心当たりはありますか?ありませんか?何が痛いの?どうすれば痛いの?どんな風に痛いの?

それらの問いに的確に答えることが難しくて吐き気がした。わからないですと言うしかなくて不満げな対応をされた。リハビリのお兄さんに電気治療をやられて2,3日熱を持ったまま肩がますます痛んだ。牽引と同じく電気治療も嫌いになった。肩はまだ今も痛い。湿布を30枚くらいもらった。二度と行かない。

 

そして今日。

内科に行った。近所のおじいさんの内科。待合室にいる時点で、自分がなんでここにいるのかわからなかったし、朝は体調がいいので症状も自覚できずにこれまた的確に症状を伝えることが難しく、胃がムカついて食欲がないいわゆる夏バテ的なものだと思われたくさい。漢方を処方された。1日3回しかもお湯で飲めと言われた。ハードルが高すぎる。

 

その足で心療内科に行った。友人が心因性の病気ではないかと言ってきたからだ。あと眠れなかったのでお薬が欲しかった。病院で海藻みたいな髪の毛をのっけた、おじさんと話した。あなたはうつ病と診断するには元気すぎてダメだそうだ。若者にはよくある、壁にぶつかって一時的にやる気を失ってるだけだからきちんと生活すれば元に戻るらしい。よ。きちんと生活できればこんなとここねえから。涙が出た。なんか病気の方が良かったし。ただただ毎日しにたいなーとかきえたいなーとか思い暮らせとのお達しである。みんな思うらしいから。4年越しに初めて行った心療内科だったが二度と行かない。

病院は総じてクソだった。

 

もうこの先の人生インフルエンザ以外で病院には行かない。

 

 

ぐえあ

 

夕方の帰宅ラッシュ前、ガラガラの電車だった。わたしと友人は遠くに行くはずだった。遠くに行くんだけれど、席が空いていなかった。なんとなーく友人は今日疲れていて座りたい雰囲気を醸していた。西日暮里について、どっと人が降りた。モタモタしていたら、空いている席が埋まって行って、2連で空いているのが角の優先席だけになった。友人が座ろうといい、わたしも特に何も考えず座った。東京駅を過ぎた頃だ。激しく後悔をした。目の前に杖をついたおばあさんが立ったのだ。その数駅前からすでに車内は混みはじめていて、全ての席が埋まったタイミングで、わたしはスマートに立ち上がり優先席を後にするべきだったのだ。完全に見誤った。どうすればいいかわからない。頭の中で吉野弘の詩が繰り返される。(吉野弘 夕焼け)わたしはやさしい心ではないので、怖くて、おばあさんが次の駅で降りるんじゃないかと、気がつかないふりをしながらツイッターをした。10分がとても長い。そろそろ発狂しそうになった時、神様の優しさを見た。電車がポイントを通過したのだ。まるで、今よろけるおばあさんに気がついたかのように、どうぞ座ってください、と満員電車の中席を譲る私。ありがとうねと感謝するおばあさん、席に座ったままの友人。地獄の時間が流れた。ウトウトしてた…。とバレバレの嘘をつきながら友人も3駅後くらいに立ち上がった。でもその事実も勇気があると思った、好きだ。向かいのヤンキー風の若者たちはついぞ立ち上がらなかったが、それもすごいと思った。

我々が関内で降りた時、おばあさんは、また私に向かってありがとうねとおっしゃった。本当にグッと恥ずかしさだけがやってきて、いえ、大丈夫ですから!とかいう微妙な返事をしてしまい、そのまま逃げるように電車を降りた。

二度と優先席は座るまい。

 

言いたかったことはその日の浜スタでは阪神が勝ちました。

 

 

ふぁぼ いいね の オキラク

 

私はSNSが好きだ。今やってるのはツイッター、インスタグラム、フェイスブック、このブログも入れれば4つ。好きな理由は文字が好きだから。いつでもなんでもいいから文字を読みたい。その点SNSは神で、知り合いの書いたものでなくても探せばそれこそ無限に文章が現れる。だが実際にはSNSで私が満足することはほとんどない。文字を読むだけでは満たされない欲がある。

 

1つには、文字を読むにしてもできる限り論理的な魂の叫びを読みたいという希望がある。○○しました。どこどこへ行きました、自分まだまだなんやな〜〜と痛感、明日からも頑張ろう〜!みたいなテンプレが溢れる。なあなあの決意表明、書く意味のない文章、読んでも透けてこない書き手の頭のなか。つまらない。まだ読んでて吐き気のする、顔本長文意識高い系の方がマシみたいなところがある。同じ質なら量を取るもの。

 

2つには、自分の発信に対してのレスポンスに不満がある。結局は寂しくてSNSに依存しているので、投稿に対していいね!ふぁぼ、つくだけではかなり不満なのです。魂の叫びには魂の叫びを返して欲しいと、密かに思い怒りさえ生まれる日もある。だからと言ってわたしも魂のふぁぼはしていますが。

 

最後に、人々、画像に情報発信担わせ過ぎ。

 

 

椎名林檎の発声

 

東京事変のアルバム、1枚だけ持っていた。正直にわかなので、2004年のアルバム、教育。東京へ越して来るときに荷物に入れて来たのだが、あけるとディスクが居なかった。急に思い出してプライムミュージックで検索をかけるとあった。嬉しいので朝から聞いている。

このアルバム聴く時は、雨が降って居て肌寒い方がいいなあとか思う。

東京事変の楽曲、口に出して気持ちいいものという認識程度にしか好きではないが、音楽の入り口としてはその認識はとても素晴らしいのではないか。耳が悪いからなのか、メロディがわからない。それぞれの楽器が作る効果音の連なりのように聞こえる。2,3曲を除いて椎名林檎の声もその効果音の一部としてしか捉えられない。歌詞は全く頭に入らない。長く聞けば雑音にさえ聞こえる。でもほんのたまにとても好きな音が入る。そのために1曲を頑張って聞いている。

 

レモンのチョコレートが好きです

 

恋人ができれば、21になるが未だ人を好いたことのない私ですが、その先をあれこれと想像してみることがままある。世に蔓延る言葉に当てはめれば私は草食女子だ。男友達がいないわけではないし、大学生になってからは2名ほど、好意を寄せてくれた男性がいたが、その誠実さ(?)に確かに応えることができるほどの恋を見つけられずなんとなくそのままにしておくと、有耶無耶のうちに彼らは何もなかったことにしてくれた。

 

恋人ができれば、二人にしかわからないようなぼんやりとした幸せにいつも照れてにこにこと笑っていたい。

恋人ができれば、ご飯を食べる時のちょっとした仕草にも気を遣って、ぎごちなくヘラヘラしようか。

恋人ができれば、歩幅を合わせて小走りで、彼の後ろをついて行くだろうし、

恋人ができれば、この前焼いたクッキーをまた焼いて、やるじゃないかと褒められたい。

恋人ができればーーー私の妹には彼氏がいる!

 

彼女は今16歳なのだ。同い年の恋人と彼女の間には、どのような好きがあるのだろうか。

彼女は恋人のことを心配して心を絞られることがあるのだろうか。高めの声でおはようを作ったり、遠目に彼を見つければ可愛らしく駆け寄ったりするのだろうか。お弁当を作っていたところを見た。

精神上のつながりが、はっきりと感じられているのだろうか。毎日好きだと電話をかけるの?肉体の繋がりに思考を向けるのは流石に妹のこととはいえ、憚られようか。

好きを、発音する時、彼女の唇はどのような意志のもとに動くのだろう。彼を喜ばせたいがためだろうか、喉元にまで溢れた精神の高揚を言葉にすればそれにしかならないという、それなのか。それともごっこ遊び的に彼を好きな自分が好きなのか。オウム返しに彼の言葉をはね返しているのか。

 

経験していないことなのでわからない。だがどれをとっても、大人的な風格を感じる。どれも私がしたくないことではなく、できないことなのだから。人からプレゼントをもらった時でさえ、相手に同じ行為を返すことが怖かった私にはハードルが高い。渡せなかったプレゼントを、家族の誕生日に転用していることは、家族に知られてはいけない秘密の一つだ。