新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

ほんとの部屋

 

あなたは、ほんとの部屋に招かれたことがあるでしょう?遠いむかしからのことを思い出してください。幼稚園のおもちゃのお家の中、移動教室の夜同じ布団の中、近所のマンションの階段の裏、昼休みの談話スペース、深夜の寿司屋のカウンター席、向かい会うその2人にとってどこにでも、ほんとの部屋はあったでしょう?秘密話、決して他の人には言わないの、心の裏側にあったような、生の考え、考えほどには固くなれてない、だけどきもちのようでそうではない、意思と書けば近いでしょうか、兎に角、相手のほんとを教えてもらったことがあるでしょう?あなたもきっとその鋭さにびっくりして、とっさにうまく自分の意思を取り出せずにドギマギしてしまったり、怖くなって自分のほんとを返すことができなくて後から懺悔をしたり、うっかり嬉しくなって他の人に自慢してしまったりしたことがあるんじゃないのかな、と思うのです。

 

大人になっても、私たちにはほんとの部屋が必要なのです。心のある隣人によって、ほんとの部屋に招かれたとしたら、幼稚なことだと恥ずかしがっては悪です。馬鹿らしいと思うこともないのです。恋人の髪を撫でるように、妹の頬を両手で包むように、幼稚園の友達の手を握ったように、自分の意思をそっと取り出してみるだけのことです。

 

誰かをほんとの部屋に招待したいと思えば、一度は呼んでみればよいのです。

 

 

 

言葉の選び方

 

いつでもどこでもできる遊びとして、私が昔からやっていること、それはパーフェクトな擬音を作ること。電車の発車音を聞けばそれをカタカナに起こす。ステキな色を見つけたらその輝き方を文字に起こす。お腹が痛かったら、その痛さを擬音に、する。

 

似たような遊びとして、他人に伝わるギリギリの表現を攻める、というものもある。これにはいくつかのパターンがあって、例えば直喩表現に準ずるもの、○○みたいな〜〜、の○○が最も的確になるような果てを目指すパターン。他には、二つのものの関係性を、既知の関係で言い換えるパターン。あ〜〜、、、**にとっての%%みたいなものね!ほかは、ただ単に既存の言葉を違和感を感じない程度に曲げて使う、というもの(例としては、吊り下げる、を吊ら下げると言ってみる)とか、語尾に全然関係ない言葉をつなげてあげるとか、いろいろある。話し言葉じゃなくても、ブログでだったら、ひらがなカタカナ漢字表記を使い分けるとかも楽しい。方言も好きで、いろいろ集めている。最近のお気に入りは、じゃじゃぶりの雨、という表現。つぶが大きい丸々太った感じがして、どしゃぶりよりもゆっくり降っている感じがして好き。

と、色々書いたがこれらはもはや悪癖で、普段は完全に無意識に行われている。バイト中などでも余裕で使ってしまっている。あとは、ぎりぎりを攻めすぎて伝わらない。

 

言葉に関して、中国人の留学生の人は当然漢字は得意、でもカタカナが苦手だそうだ。モンゴル留学生の1人は、カタカナが簡単だけれど、漢字は覚えられないらしい。この間は緑という漢字を調べていた。でもある言葉を知ったときに、それの漢字表記があるかどうかって一々調べてるんかな?それとも回数こなせば直感的にわかるようになるんかな?

私は中国人ではないが(余談だが、現実世界では中国人だと間違われることが多い。中国でも中国人から中国語で話しかけられ、北海道では日本人の店員からCan you speak JEnglish?と話しかけられた。)カタカナが苦手だ。一文字読み飛ばしてしまったり、語感のいいように並べ替えて認識してしまったり、単に外国語に不慣れである、ということかもしれない。短いカタカナならだいじょうぶなので。読む以外にもカタカナで書かれた商品名、キャラメルマキアート、のようなものを発音するのに羞恥がともなう。労の経験から、注文の際に商品名正式名称>>>これください(指差し)>商品名一部読み上げだということはわかるんだが、恥ずかしい。これくださいしてしまう。先の一文に登場した、労、という言葉も私の言葉あそびの一つで、労働を半分にしてバイトの意味で使っている。造語してあそんでいるんだ。労を取り出したのはそのほうがしんどそうだから。

 

話が変わって、きのうの労のかえりに、日本橋高島屋の前を通ったときのこと、なかなか素敵な体験をしてしまった。店のショーウインドウの模様替えをしていたのだ。プレゼントの箱をどんどん搬入しているのを見た。入り口のドアが空いた隙間から頑張って覗くとまだ飾りのついていないクリスマスツリーが見えた。クリスマスの準備をする都会の妖精を見たのだ。ずっと見ていたかったが電車がなくなるので、早歩きで通り過ぎた。夜半をむかえようという日本橋の電気の消えた丸善の向かい、大きな道路、粒雨の降る中、ガラス越しの波型の光に目を細めながら、普段は人のいないショーウインドウの中で飾り付けをする人たち。気をぬくとマネキンに見えてきてどきっとした。今日はその私だけが知っているさらぴんのクリスマスツリーをバイト前にみに行くのだ。

 

すべての優しさを超えるには

 

優しくしようと思うこと、その気持ちになれること自体が幸せで素敵だな、というのはいつも思うのだ。だけど優しくしようと思ってのことでないところを優しいと感じることができたとしたら、その二人の関係はなんらかの幸福を伴うと考えるのが当然じゃないか。

 

相手の性質と、それに伴う行動に、自分が優しさをみつけることができたらそれは必ずすべての優しさを超えて嬉しさと安らぎをもたらすんじゃないかしらと、思うのです。

 

私は人の素直さを好みます。思ったことをたしかめず口から出すような人が好き。自身もそういう鋭い鈍さを持っていたいと思います。その素直さには悪意があってはいけません。悪意を含まない、悪いものは悪いとわかっている、育ちの良い素直さ、気持ちの良い素直さ。しかし世間知らずであることは、1番の悪なので、ここが大変に重要で、周りと自分が異なること、直感的にではなくてもわかっていてほしいです。そして世界と自分たちを切り分ければ、内側をとりわけ愛し、守らんとす正義感を持ちましょう。そうすれば、内部の人たちはその正義感に報うため、自らが守られる価値ある人間たるために、素直な人になろうという気持ちになるんじゃないかなあと、私は思うのです。もちろん自分1人にとっても、これは当てはまることでこうしていれば自分に自信が持てる日が来ると信じたりしている。さっきから素直と書いたけど、その言葉が一番きれいだと思うから使っていて、実際には、健気、こういう意味で使っています。

 

相手の行動によっての自分の気持ちの変化を素直に伝えること、これが人間ができる1番の優しさの直接表現だ。私は喜んだよと伝える、こういうことをされれば悲しいと伝える。直接に感情をやりとりすることを厭わない、これが世界の内側に相手を呼ぶということだといつもおもいます。

 

相手の優しさを全て感じ取ってあげたい、と思うことも、優しい。

 

悲しくならない方法を取れるようになりたい。

 

 

ウェルカムタピオカ

 

今飲んでいるタピオカの蓋にそう書いてある。

タピオカがかなり好きなので、家で戻して茹でたものを冷凍庫に貯めてある。この間、浅草の一芳イーファンというタピオカ屋さんが超美味しいということを教えてもらい、そそくさと行ったものの、そこのお店は全部にタピオカが入ってるタイプでなくて、間違えて買ってしまった。悲しかった。

タピオカはカタカナで書くんだから当然台湾でもタピオカはタピオカだろうと、日本人並みの考えでいたら、木薯(mu(第一声)shu(第四声))というらしい。芋っぽい。字面が完全に自然薯。タピオカもなんかの根っこから作るらしいしな。いつぞやまではタピオカはカエルの卵だと信じて疑わなかったわたしだが、最近はチアシードがなんだかの両生類の卵なんじゃないかと気掛かりです。

 

それはそうと、体調が悪いです。肩が体から外れていきそう。こういうときは100/100で微熱でしょう。今日は葛根湯飲んで寝て明日起きてダメだったらロキソニン投入でバイトです。昨日から40/48は寝てるんやけどな。

 

しかし編み物への欲望は収まらず起きている数時間は編み物に費やし、昨日ついに靴下を片足分完成させた。だが毛糸玉がなくなってしまうことに気がつき池袋ユザワヤ凸するも撃沈。急遽錦糸町ユザワヤへ向かっている現在である。バイト間に合うかしら。空気を混ぜたアルパカとかいう可愛らしいアルパカ毛玉も追加しようという気持ちだったのだが、それも売ってなかった。悲しい。池袋は売り場が小さいよ。とりあえず靴下自慢させてください。

 

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最近大学の友達を編み物の道へ再び誘うことに成功して、2人でユザワヤへ行ったのがめちゃくちゃにハッピーでした。違う友達も編み物してるのでそれもめちゃくちゃにハッピーです。冬は編み物とアマゾンプライムとクリスマスソングです。

 

生きものであるから

 

人と別れた後に何が変わるのか考えてみた。においが変わる、というのがたくさん感じられたなあということを思い出した。まず、家に帰って自分でない人のにおいがしなくなる。洗濯物の山も、自分の山になる。布団の中のにおいも、シーツを変えれば消えたようだし、帰ってくる人のために作る晩御飯のにおいだってそうだろう。鍋をした後の香りの湯気を逃すために窓を開ける必要もなくなった。

いいにおいだねと褒められてから使っていたハンドクリームも切れて仕舞えばもう買わないつもりだし、わたしは以前のわたしのように牛乳石鹸をまた使うようになっている。

 

吸えば咳き込むタバコの匂いを、胸に抱きしめて安心することができるなら、そのとききっとあなたには恋愛の素質がある。

 

 

 

レンチンお総菜みたいな文章になってしまった。