新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

きつい

前々回、次回ポエム書きます!と言いましたが書けなかったね。尾崎豊の曲聴いてたら、全歌詞キレッキレでもうポエムなんて書く気なくなった。

 

昔はずっと、心の底から存在を憎むような、嫌いな人はいなかったのに、最近はたくさんいるのが辛い。もしかしたら昔は嫌いじゃなかった人たちも今見たら嫌いだと思ってしまうのかもしれないこともきつい。

 

具体的なことを書くのも気持ち悪いくらいだけど供養のために書き出す。

 

基本的には己の性に価値があると思い込んでいる女が胸糞悪い。女の子だから許されるだろうという中学生あたりから出てくる終末を感じざるを得ない考え方。完全に場末。それでいいのか、そんなことで評価されて嬉しいのか、40になっても同じように生きるのか。60になった時になにが残るのか。ニコニコするな、きちんと自分の意見を持て、何か言え。

女を最愛の対象としてしか見られないような男性の存在が悲しい。そういう人間はもっと真の愛に打たれろ。真摯に生きろ。刹那的な肉欲に支配されるな。相手に対して申し訳なさを感じろ。この類の人間が目の前に現れた時、自らが女としてのみしか認識されていない場合があるということを認識させられて、とても苦しい。本当に悲しいし、ほとんど人間としての人格を否定されたように思う。

大人になって自己の男性、女性としての特徴を売り物にしようとおもうな。しんの底ではそれを虚しく感じたりしているとしても、表面的にでもそういうことはするな。

 

高校生の時、自己の存在証明としてのセックスを認識して以来人生がしんどすぎる。

肉欲に支配されうる自分の存在も気持ち悪いし、そのような世の中の人間を見るのも気分が悪い。

昔から、性行為=忌むべきものと教育されたというだけなのかもしれないが(母はセックスのことを良くないことと表現した)、世の中に対して堂々と性的コンテンツをばら撒き、評価される人々がいることが受け入れられない。二次元は大丈夫なんだが、正気の人間のすることではないと思う。せめて、どうにもなくならないというのであれば、もっと隠れて行われるべきだと思う。

不用意に目の前に現れないでほしい。

きついから。

 

かなりしんどいから。

 

自分の中からも女性的な部分を消しきれないことが一番悔しい。以前よりも随分自分自身に鈍くなってしまった。そのことを認識するたびに一層苦しく思う。

 

苦しすぎるので尾崎豊の歌詞を書きます。

 

愛の消えた街さ昔から

そうなのだろうか

それが当たり前と言うには俺はまだ若すぎる

見つけたい 見つけたい

愛の光を

 

 

8月11日

目ざめてすぐに、今日は外に出なくてはならない日だとわかった。時計は午後1時を指していた。

ふらつきながら着替え、外へ。気分は沈んでいる。精一杯の平静を装いバーガーショップでバーガーとポテトを手に入れた。心臓がばくばくして、何でもいいから、台無しにしてやりたかった。

 

歩きながらバーガーを食べた。お腹がいっぱいになった。ポテトはもういらないなあと思いながら、コンビニでチョコレートを買った。暑い。水分が欲しかったけれど、どんな飲み物が飲みたいのかわからなかったので買えなかった。自宅の前の花壇に腰掛けながら、チョコレートを腹に詰めた。ポテトが冷えてしまった。もう美味しく食べられることのないこいつが、かわいそうでたまらなくなって、満腹の腹だったが、食べてあげようと思った。でもやっぱり食べたくなかったのか、地面に落としてしまった。ごめんね、ごめんね、そう言いながらポテトを拾い食べた。残りのポテトは一本ずつ丁寧に車道の隅に並べた。

 

まだまだやり足りなかったけれど、もう眠たかったので、うちに帰って寝た。

 

私に求めること

夢のコンサートから一晩明けて今夜はもう頭がスッキリした。私がしなきゃいけなかったのは、この夏は、勉強、演習、演習をしなきゃいけない。これがめっちゃやりたいことなんだった。今日の朝、起きて2時間A.B.C-Zのこと考えてぼーっとしてたけどそのあと実験しにいった自分ほんまえらいて。足りないものをどんどん自分に詰め込んでかなあと一瞬で人生終わる。人生は知らんけど、大学生活は確実に終わる。それに気づかせてくれただけでも研究室見習い生してるかちある。先輩に色々教えてもらえるポジもおいしいし、楽しくやりたい。

 

将来なりたいものが決まったし、今夜はめでたい日だ。最高。

 

これからもA.B.C-Zを戸塚くんを応援しながら、自分も成長したい。戸塚くんは一生アイドルしてほしいから、全力で応援するけど、それとともに、自分にも期待したい。

失敗してもそれは自分が頑張ってなかったからやん、とか思うこと、もう二度としたくない。悲しい。正しく努力した結果見つかる不足を補って行きたい。最終的には全て成功したい。

 

自分ができないことを他人に求めるのもやめたい。最近友人と、恋人にも、何か目標を持って頑張っていてほしいよね〜わかる〜〜、という話になったとき、具体的に何を頑張っていたら評価の対象になるんだろうかと、問題になった。私は、その対象が私が興味を持てる学問でないとグッとこないんじゃないかなと思ったし、友達もそういってた。でもそれって結局は、自分がそうなりたいことを相手に求めているだけなんじゃないか。そういう一方的な?感情を充てるのは、よろしくないのかな。でもやっぱり、好きな人が、私といるだけでハッピ〜〜それだけで人生最高〜〜となってくれたら、嬉しいけれども、え、そんなんで人生大丈夫?とはなるよ。この問いの答えも見つけて行きたい、でも、否定的な気持ちは少し和らいだ気がする。能動的であってほしいのかな、野心的であってほしいのかな、私は野心的だと最近自覚したばかりなんだが、そんなに野心的な人ってたくさんはいない?

 

コンサート後の気持ちの整理の過程で、私は私、という考え方を肯定的に使う方法を理解した。また一つ成長してしまった。

 

ところで体が痛い。腰がすんごい痛い。太ももの痛いのも治らないし、このままヘルニアルートなのかとうちふるえている。とりあえず肋間神経痛が本当に辛い。骨まっすぐになって。

 

次回、ポエム書きます。

 

 

Acrobat Boys Club

A.B.C-Zのコンサートへ行ってきました。

 

物販の後、始まるまでの数時間の堪え難い心臓の痛み。なんだろう、めっちゃ楽しかったのに、コンサートのこと全然記憶にない。終わった後電車でずっと何書こうって考えてたのに、頭にない。5千文字くらい書けそうな感じしたんだけど。ただ素晴らしき空間であったことが全てでそれだけ。なんか燃え尽きてしまった感もある。4年前?に、A.B.C-Zの存在を知ってから、細々と応援してきた、このグループの素晴らしさを、同居人ちゃんにわかってもらい、一緒にコンサートに行けて、もうなんか、すげえ満足した。楽しかった。

 

最近ほんとに面白いのが、どんだけ気が昂ぶって、どんだけあああああだめだもう明日から何もしたくねえ〜〜ってなっても、落ち着いてくると、明日から自分がどう頑張って行けばいいかと考え出すところ。一度その方法知ったのでもう当分深刻なロスとはおさらばな気がする。

 

コンサート開演前は、塚ちゃんのうちわを買い、塚ちゃん推しだと信じて疑わなかったわたしだが、中盤以降はもう、わたし同居人共々無心でピンクに光るペンライトを振っていました。無事戸塚担として生まれ変わったんですね(同居人は、ライブ始まるまで(始まっても?)はっしーととっつーですっごい悩んでいた)。そしてコンサートが終わったと同時にそのわたしは死にました。燃え尽きて灰になったわけです。

 

そしてライブ後その燃えかす灰より不死鳥のごとく生まれてきたのが新生はしとつ推しの私である。

 

もうね、私よりも絶対はっしーの方が戸塚くんのこと好きだし、えびがずっと仲良くいてくれたらそれでいいし、体力のないオタクが、毎日精力的に戸塚くんを追いかけることもできないし、はしとつを応援します。それくらいしかできることないし、本当に。

 

 

ジャニーズのアイドルは二次元アイドルと違って本当に生身なので、そこにいる感じがすごかった。圧を感じた。あっこの人たち本当にいるんだ、と認識してしまいもうガチ恋以外の選択肢がなかったんだが、今やっぱりアイドルはアイドルとして応援しようという気持ちに持ち直した。ずっとアイドルしてくれればそれでいいし、ずっと応援したい。楽しくなりたい。

 

私は私のできることをして、ご褒美としてライブに行く、完ぺきな生活。

 

 

だめ

もっと感情を行動のモチベーションにできたらいいのに。どうしてあいつに負けたくない、という気持ちで頑張ることができないのか、相手が私を対等な相手だと認識してくれないからかな。

 

例えば誰かに負けたとして、私こんなに頑張ってないのに勝てるはずがないじゃない。と、当然そう思う。この考え方は自分を傷つけまいと自己防衛をしているのかな、でも、今まではっきりと胸を張って自分は頑張った、と言えるようなもの一つもないと思う。

私のいくつかの作業の果てに良い結果が得られたときに、それを頑張ったからだよ。って、してしまうことはあるけれど、中途な結果しか得られなかった時と、良い結果が返ってきた時、どちらも同じくらいのことしか私は多分していなくて。結果から逆にみて、頑張ったからなんだって言っているにすぎない。

 

どうやったら正しい努力ができるんだろうか。やはり自分の認知を変えて行くしかないのか。今までと同じことをしていても、頑張ったね自分と、褒めてあげればいいのかな。でも自分にできることならそれって頑張ったと言えるのか。できるからやってるだけやん。意味がわからない。

 

自分がやりたいことを一つに絞って、労力を全振りしてみたい。簡単なことは他人に与えられた仕事をこなすこと。本当にすぐに肯定感が得られる。どんな小さなことからでも他者からの肯定的と捉え得る評価からは達成感を得ることができることは私の長所なのかもしれない。

他方、自分自身で自分を肯定してあげることは努力していても、これからもできるようになる兆しが感じられない。

 

こういうところはよくできる、と思ったとして、何と比べているのか、どこを標準に取れば良いのか全くわからないし(この話前もしたな)

 

せめて、この先、周りに比べてまだまだ自分だめだなってなってから、何かしらの行動を積もう、と思えるような回路を実装していきたい。