新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

書きたいこともない

夏になりましたね。あっつかってもうクーラーなしでは生きていけない感じになってきました。風鈴が欲しいです。

 

非生産的な消費者にだけはなりたくないと思っているけど、夏は難しい。アイス、クーラーの効いた部屋で漫画、進まないレポート、手をつけてさえいないスライド作成。精神が厳しい。さっきも危うくむり状態にならかけたりなどしました。今までと全く違うトリガーでビックリしました。

 

とりあえず知らないうちに体重が3キロも減ってしまったので、米をモリモリ食べて、早く元気になろうとおもう。

 

 

とりあえずあしたは机周りを片付ける。座椅子が欲しい。

 

 

黒ステと夏休みのモチベ

 

昨日、大学のお友達に誘ってもらって、黒子のバスケの舞台、『舞台 黒子のバスケ OVER-DRIVE』を観に行ってきました。黒子のバスケ、原作ちゃんと読んだことなくてほぼ初見のにわかでしたが、めっちゃ楽しかったです。みんないいキャラだな〜〜、原作を読みたくなりました。主人公の黒子役が、アニメ声優を務める小野賢章さんだったので、浮かないのかな…?と少し気になっていたのですが、むしろ逆でけんしょーさんの声でステージ全体に漂うアニメ感。俳優さんの動きの綺麗さここは二次元か?とあっという間に終わってしまいました。友人がDVD予約してくれたのでいまから鑑賞会が楽しみすぎます。

 

そんな黒ステ明けて今日。

 

 思い出して昨日に戻りたい〜〜という気持ちで死にそうになるのが今までの私の常でしたが、今回は夏休みまでそして夏休みの勉強モチベが爆上がりしています。成長を感じる。

輝いている人々を見て、羨んで、私もアレになりたい!と思って自分は何をしたらいいんだろ〜〜と苦しんでいた以前の自分と違って、自分はこれを頑張ればいい、っていうものが一つできたことが、すごい新鮮で、この感覚にまだ慣れないし、そう考える自分の存在にドキドキする。研究室に呼んでくれた先生ありがとうございますという気持ちでいっぱい。自分にドキドキして楽しい。

これをもっとたくさん作れるように、いろいろなやりたいことをたくさん自分でも出せるように成長していければきっと満たされた毎日が続くんだろうなと思う。

 

最近理想というものがいい意味で無くなってきている。期待するのをやめたわけではなくて、自分の理想と呼ぶべきものと、現在の自分をつなぐ方法を知りつつある感じ。現実におろしてくる方法があるということをまだ知っただけの段階ではあるけれど、今までよりずっといい。

 

 

ただ、自分の熱量が多くなると周りに攻撃的になってしまうこと、自分のことしかしたくなくなることもいつものことなので気をつけたい。気をつけてどうにかなるものでもないと思っているけれど。

 

あと、新しいお友達が欲しい。一緒に勉強してくれるやつ。

 

アイドルが好きです

私は男女次元問わずアイドルが大好きです。たくさんいるアイドルの中でも今個人的に最もアツイ中島健人について考えてみることにしました。私はジャニファンとしてにわかなので、恐る恐る書きます。

 

中島健人くんはジャニーズ事務所所属のアイドルで、Sexy Zoneというグループに所属しています。

中島健人を私が推す理由として、まず外せないのがもうハチャメチャに造形が良いこと。顔は当然美しすぎる。笑うと口が大きい。それよりも私がすごいと思うのが、体型。遠目に見ると、あっこの人ほんとに三次元?と我が目を疑う。細く長い足、くびれた腰、ガッチリしていて薄すぎない肩、どう考えても完璧すぎてしんどい。本当に二次元なんです。意味がわからないの。いっちばんオススメの衣装はreal sexyっていう曲のPVの衣装です検索してね。

一緒に見てた友人が『作画崩壊無い分、ケンティは二次元超えしてる』って言っててこの人頭良すぎる、と感動しました。本当にその通りだ〜〜。

 

次に歌が上手だことうまいこと。本当にうまいです。なんか声量すごいし、声のバリエーションも多いし可愛くするのもかっこよくするのもできるし、ああ、でも可愛い方がすきだ。オススメの可愛いソロ曲もう、すべてのアイドルのソロ曲の中で優勝してるとおもうレベルに最高なのがCANDY〜Can U be my BABY〜です。この曲歌のうまさわかる、中島健人が最高にアイドル、ファンが合いの手で"LOVE KENTY"って叫べる(ケンティっていうのは中島健人の愛称)と全てが揃った最高の曲です。ぜひご賞味あれ。

 

 最後はキャラの振り切れ具合が最高だ、ということですね。ケンティは、王子様キャラというか、俺様キャラというか、その合いの子なんでしょうか、とにかく甘い言葉を囁きまくってくれるという素晴らしいキャラをなさっています。しかもそれを少しの恥ずかしさも見せず、本心からそう思ってるんだ…と感じさせてくれるから尚素敵。でもそういうのはアイドルだから当然ではあるんです、では中島健人は何が違うんだろうと考えて見ると、彼はリアルに性を感じさせるような甘い台詞を吐きます。

所属しているグループが今でこそ平均年齢20歳超えたけど、デビュー当時はみんな未成年の、ザ・アイドルグループとして売り出されてたと思うんです。な、の、に、も関わらずなぜか高校生だったはずなのに中島健人は性的だった。

アイドルにはうんちもしてほしくない派閥過激派であるところの私ですが、中島健人は新境地を開いてくれた。私は、私生活や、負の感情を持つ人間であるということを微塵も感じさせないことを魅力に二次元を信仰してきた人間なので、目に見えない部分を想像させてくる、三次元のアイドルにそれほどまでに夢中になった経験がなかったのです。アイドルは可愛いだけでよくて自意識を持って活動してほしいと思ってなかったのね。本当に限られた世界で踊るお人形さんがすきだから。

でも中島健人が非常に具体的に性を意識させるように誘導してくるので、驚いた。しかもそれが嫌悪感を感じない、ただただ赤面…という感じ。なんかもう高度に完成されていて、まあ顔が美しすぎて何言っててもカッケーみたいになるし、訳の分からぬままにハマってしまった。んだよなあ。と今日は昨日ポチったSexyZoneツアー2016のライブ映像中、中島健人が『今夜抱いてやるよ』って言うシーンがあるんですけど、そこ見ながらしみじみ思い出しました。表面的にはギェェーとか言って奇声発して萌えたぎっていましたが。

高校の時こんな話を同級生としてたら、そんなんジャニーズとか女のAVやん!って言われたのほんと思い出しても頷けるし面白いな。

 

ただ最近メディア露出が増えたからなのか大人になったからなのかケンティのキャラが大人しくなったような気がして少し残念。セクゾじたいも可愛い路線→かっこいい路線にシフトしてる気がするし。アイドルは可愛くあれ推進派なので寂しいです。

 

福岡でのコンサートで、『感じてるか!?俺のセクシーめんたいこ〜!』って叫び散らした中島健人帰ってきて、にゃんにゃんって言ってほしい。本当にすき。

 

 

書いてて気がついたけど私、何かについて述べるとき三点例あげるのすきだな。 

 

勢いだけで書き散らかしてしまったけど、本当にいいので本当に見てほしい。(ストレートに布教)

 

ブルーレイも安いんだよ。

左は2013年のライブで最高にキュートな中島健人のソロ曲CANDYが見れます。右は、2016年のライブでケンティが抱いてくれます。オススメ度としてはグループとしての完成度が高い2016がいいかなと思うけど、中島健人は2013ですでに完成されてます。

  

 

久々にむりになってしまいました。

 

昨日の夜急にむりになってしまった。

ほんとは、数日前からずーっと眠くて気を失うように眠ったりしてたから、急にではないかもしれないけど、急にきた。

 

でも今もうブログに書けるくらいの元気にはなってるからもう治ったと思いたい。

 

このむり現象は、記憶にある限りでは小学校一年生の時にはすでに体験した覚えがある。

 

夜、布団に入って何を考えるでもなく考えていると、ある日突然気がついた。私って本当にいるとは限らないのでは?かなりこれはむり状態のときの私の考えとはズレてるけど、言葉で表そうとするとこう書くしかないのだ。

 

押さえ込んでも押さえ込んでも、「宇宙ってどうやってできたのか」「人間って本当にいるのか」「今私が考えていることは本当に自分で考えてるのか」みたいなことが頭のなかにぐるぐる回って落ち着かなくなる。哲学か?みたいな感じだけれど、全くそういう落ち着いた精神状態での思考ではなくて、単なる衝動的な思考があるだけ。自分の目の前にあるものすべてに恐怖していて、一種のパニック状態なのかな。ものすごい勢いで頭の中を同じことばかりが駆け巡って、答えを探そうともしていないのに見つからないことにさらに焦って、思考が脈打つというか、肉体から精神がはみ出てしまって、外側から自分を見ているような感覚。肉体からは全く何も感じなくなる。小さい頃はもう少しマシだった気がするけど、大声で喚きたくて、頭かち割って頭の中拭き掃除したいみたいな気持ちになる。うまく言葉にできない。素朴に、えっこの世界って何?って思うみたいな…。このうまく言語化できないことにもイライラするし本当にむり。書きながら若干パニクってきた。

 

基本は夜にしか起こらないし、今は頻度がかなり、昔よりも減っていて、本当に昨夜のやつも二年ぶりぐらいに起こったのですが、同じようなことが昼間にももっと頻度は下がるけれどおこります。

 

やっぱりなんの前触れもなくその思考は現れる。何をどう考えたらいいのかわからなくなって、昼間は夜と違って恐怖よりも怒りのような感情で支配されて、頭が爆発しそうなくらいに思考が加速されて脈打つ。発狂しそうになるけど、大抵図書館とか、駅とか静かな場所で起こるのでどうにもできない。

 

昼間に起こるむり現象は、誰かと話すとか、バイトに行くとか、人に接する場所に自分を置くと大抵そのうち忘れて治ってしまう。また何ヶ月、何年後に現れるけれど。

 

夜に起こるむり現象は、ひらがなを50文字一生懸命頭のなかで習字して、それが終わったらアルファベットをまた頭から丁寧にゆっくりと習字して、それが終わったら知ってる人の名前を習字して、とにかく別の何かを頭の中に大きく置いて、むり考えに自分が到達しないように阻みながら、眠気が来るのを待つしかない。

 

 

小さい頃は、本当にどうしたらいいかわからなかった。布団を叩きまくったり、腹筋しまくったり、部屋の中ぐるぐる歩き回ったり、真面目にむり考えに向き合って考えてみようとしたり(これは絶対に失敗する)、それこそ、宇宙の学習事典でお勉強してみたりしたけれど、どうにもむり現象が緩和されなくて、ある日普通に限界がきてめっちゃ泣きわめいた。

 

パパに上に書いたようなことを聞いたら、パパも昔同じようなこと考えたことがあるって言ったから、その言葉でだいぶ救われた。じゃあどうやって対処したのと聞いたら、考えてもわからんから考えるのやめた。と言われてそれはにげや!と怒ったことを覚えている。そしてさらに、父が「でも今はなんでわしが生まれてきたんかというとお前たちと会うためやったと思ってる」って言ってきて、違う私が言いたいのはそんなことじゃない、そんな間に合わせみたいな答え言うなよ、って絶望したのを覚えている。(本当にごめんなさい)

 

今日の夜もまたむり現象が起こることが恐怖すぎる。年々頻度は下がってるけれど一回が重くなってきているような気がして怖い。

 

同じような経験したことある、している人がいたら教えて欲しい。

 

 

価値観

 

タイトル打つときにかちかんの変換候補一個目に価値感がサジェストされて驚きたまげました.

 

欲求を充足させるために私たちは遊ぶ.例えば絵を描いたり,かわいい服を買ったり,本を読んだり,する.遊ぶこと自体は必要だし,むしろ遊んでばかりいる私がどうこう言うことは全くないのだけれど,自分が遊んだ結果を見せることを職業にすることについて考えることがある.

 

過激な表現にはなるし,恥ずかしいことを言うと,“遊び”を,そのなかでもとりわけ自分が楽しめない“遊び”をしてみせることを職業とする人間を肯定することができない.遊んでいるようにしか見えないんだ.

 

作家,学者,俳優,モデル,みんな等しく遊んでいるだけなのに,どうして他人から評価されるのかがわからない.気持ちとしては文学作家,学者,漫画家あたりの自分が楽しめるものはまだ肯定できる.

 

ここまで書いてわかったけれど,遊びは個人の自由に任せられた物だから何を偏重しなにを軽んじてもそれこそわたしの自由なのか.じゃあいいや.

 

自分のこの態度は問題ないとみなしたので,この先に進むと,あとは個人間におこる問題と,商品として世の中に出ている“遊びの結果”模倣問題(適当に名付けた)が残ったように思う.なんとなくすでに解決した気がするけど一応すすむ.

 

一つ目の個人間に起こる問題っていうのは,私は俳優さんにそれほど興味がない,といったときとかそれ以外にもよく起こるけど,たいていの人間から与えられる,え~〇〇もしらないの~というやつが死ぬほど気にくわないというだけのことです.逆にじゃあてめえ夏目漱石の本何か一冊読んでう,うつくしすぎる~ってなったことあんのかよ.あったら同士だねっ!人の評価の対象に偏りがあるって言うだけだから,幸せに暮らしたかったら評価対象が似たような人と仲良くすればいいだけの話だな.解決.でもそれって自分の興味の対象を自分で狭めてるみたいな気もして悲しいきもするしなんなんだ.

 

二つ目にかいた“遊びの結果”というのは,いわゆる職業として“遊びの結果”を世に出している人たちから我々が手に入れられる物のことを指していて,それのまねごとをしている人のことが嫌いという話.いや君ブログ書いてますやん,とお思いでしょう.それはそうなんですが,ここでもやっぱり評価対象の偏りをかんじるんだ.もはやただの愚痴だけど.おしゃれっぽい写真,かわいい顔した女の自撮りが偏重される世の中がもう最悪だよ.と私はたまーにそういう気分になって落ち込んでしまうだけ.表層的な部分に自信がなくて,そのくせ表面を飾り付ける方法には興味がなくて,ひたすらに自分が正当評価されていないと不満を募らせる悲しい人間になってしまいそうになる.けどこれも,自分に求める評価をくれる人が周りに少なくとも数名はいること,それを信じて気持ちを満たすこと.支持者を増やすべく,さらに何事かを学ぶことを意識すれば改善される.

 

以前友人が,君は自分の見た目より中身を見ろっていうけど,それは自分の内面に自信があるから言えることだ,と指摘してくれたことを思い出して,私はかなり元気になれるようになった.言われるまで気がつかなかったことにおどろいたけど,真実だと思った.多くの表面的なつきあいをする他人が内面を評価対象に入れていなかったとして,自分自身が自己の内面を不当に軽んじる理由にはならないと言うことにこの年になって初めて気がついた.自分がどれだけ他者からの評価に依存しているのかを知った.まだまだだめだなあという感じ.

 

話が相変わらずぶれぶれだな.