新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

街で知り合いと出会ったら

有機のテスト勉強、バイト休みの電話、作りっぱなしのポリマーの回収、ラインの返事、図書館で借りた本の返却、ごみすて、朝ごはん、授業への出席、やらなきゃいけない事が何もできないし、そもそもやらなきゃいけない事が何なのかわからないような気がする。ずっと頭の中がモヤモヤする。

歳のせいでこうなるって聞いたけど、この先の人生ずっとそうならもう早くやめたいわ。

早寝早起き体力つければ改善されますか。

早寝早起き体力つける、一番したくない事だけども。大丈夫ですか。

 

無理するレベルの早起きが毎日必要とされるような人生を送らずに済むように頑張っていきたいなあと、最近の望みはそれだけです。

 

街で知り合いと出会った時、声をかけられる人って世の中にどれくらいいるんでしょうか。私はかけられません。向かいから実の妹が歩いてきても、ギリギリ声をかけられるかというレベルです(妹とはめっちゃ仲良い)。

 

大学でいつも仲良くしている友達が目の前を歩いているとする。これが明らかに通学路だったら、多分話しかける(でもこれも多分)。もし、その場所が池袋だったら、きっと話しかけられない。

 

同じマンションに小学生の頃から住んでいる同級生と帰りの時間が同じになって、たまたま同じエレベーターに乗ったときも、話しかけられなかった。中一から、高三までずっとタイミングを計り続けただけで終わってしまった。もうきっと将来お話しすることはないんだろうな悲しい。

 

自分と会うことを予定してきていない他人に対してどのようにアプローチしていけばいいのか全くわからない。特に仲良くない人だった場合、適切な場所でないと私を認識してくれないかも知れない。そもそも街中で会って声をかけて何が起こるのか。そこから立ち話に持っていきかたなんて、本当にしらない。

 

だから街中で私に会った人、気づかないふりをしているわけでも、気づいていないわけでもないんです。ただ本当に声のかけかたがわからないの。私にはハードルが高すぎるんだ。そちらから声をかけてくれたのなら、きっと嬉しく思うし、楽しくお話はできましょう。

 

ただ、ふらっと出た街中で、そこに誰がいても、仲良しの友達でも、彼氏でも先輩でも、数回会っただけの人でも、そのすれ違う一瞬に、私がいることを伝える術も、理由も持っていないというだけのこと。

 

似たようなことでいうと、私の知らない人といる知り合いには話しかけられないし、直接的な会話を目的としていない不特定多数の人間がいる空間は嫌いだ。

相手が私と真面目に接触することを目的としているということを確認できないと、不安、不快になる。

 

知らない人の前で猫かぶってる友人を見るのは嫌だし、社交辞令を言うような人がたくさんいる空間にいるのは苦しいということだな。

 

そういうことをできるのがまともな人間だと教わって育てられた人たちのことは、想から大変羨ましく思うけれど、自分がそうするのは嫌だといってごねる、だめな人間になってしまったよ。

どうしても、内容のない会話をすることが相手に失礼なことだとしか捉えられない。決してしたくない事のひとつ。

 

夏休みにしたかったこと

完璧な夏休み、これは私が幼少の折から一度もまだ現実にしたことがない、憧れの一つである。

 

小説や、漫画に出てくるような完璧な夏休み。1日が3日に感じるくらい新しい発見が毎日目の前に現れる夏休み。蝉の声を聞きながら、汗だくになって何かを探し求める夏休み。そんな夏休みをこの人生一度くらいやりたい。今年じゃなくていいけど。

 

まず、スイカ、かき氷を食べる。カブトムシを捕まえに山に行く。近所の公園でセミ捕りをする。夏祭りの縁日で遊ぶ。花火をする。キャンプをしてみる。プールに行く。海に行ってクラゲを捕まえたり刺されてみたりする。おじいちゃんやおばあちゃんの待つ田舎に帰る。友達と毎日遊ぶ。甲子園の決勝を見に行く。

完璧感がすごいな。

 

昔から虫取りに対する憧れがすごい。一度もしたことがない。野生の動物に接する機会が極端に少なかった。

おじいちゃんの家は田舎ではあったけど、うちのすぐ裏が山というわけでもなく、山に行くには車で30分。子供が歩いていけるのは、家の横の小さな公園。中学生になってやっと、家の近くの海岸。

虫捕りがしたい。子供の頃おじいちゃんに一回だけカブトムシ捕まえたいって言ったら、近所の人が捕まえてきたやつ?をくれようとしたのがとても悲しかった。

 

木に蜂蜜ぬって夜中に見に行ってみたい(本当にそんなことしてる人いるのかというくらいに現実感味を感じない行動)。

 

私が去年の夏休み(?)、一番楽しかったのは井之頭公園の動物園でザリガニを触ったことです。人生で初めて目の前でザリガニを見たな。めっちゃビビりながら子供に混じって触りに行ったわ。

 

今年の夏休みはね、花火、プールは決まっているからね、完璧な夏休みへの第一歩はもう踏み出しているよ。みなさん私の完璧な夏休みにご協力いただきたいね。特に虫捕りしたいです。

 

 

自己肯定感、満足感

 

昨日は記事を書いた後、別のお友達からも連絡が来ました。急用以外で1日に2人からも連絡がくるなんて珍しく、素晴らしい日でした。彼もまた、イニシャル取るとKくんなんだが、わかる人にはわかるようにKANくんにしようかな。

歌手感が凄まじいが。(古いか?)

 

KANくんは浪人生時代にできた友人だけど、大体何の話をしてもよくわからんなりに素直に受け答えをしてくれるとても気持ちの良い人なのでめっちゃすき。大体突拍子も無い考えは全部KAN氏に投げるとほどよくほぐして返してくれる。天才だな〜。

 

昨日も全てはなるようになるんやと、ありがたい言葉をいただき大変に心が軽やかになりました。本当に人生上確実に2人とは得られない逸材だと断言できるしこれからも仲良くしよう。

 

そのKAN氏に昨日こういう話をしてみた。自分の認識が歪んでいるかもしれないということを疑わない種類の人間がいることが理解できない、と。どうして考えちゃう人と、考えないでいられる人がいるんだろう?というようなことをもっと適当に投げつけたわけです。

 

自分の環境に満足できてると、考えなくなるし、考えるだけ無駄やしって思うこともあると、極端にいらんことにとらわれるようなことはないことはないけれど、良いケツの写真みてるほうがよくね?ってなる。

 

伝わる人にしか伝わらないと思うんだが、これはふざけてないしかなり真実味の強いメッセージだった。これを聞いて私は、あっそっかー…私に足りないのは自己肯定感と満足感なんだ〜〜!と、数ヶ月ぶり101回目の気づきをえた。毎回なんで忘れてしまうんだろうね。いつも、気づいてそれを求めて生活を改善して行こうと頑張り始めるはずなんだが、いつの間にかまたわからなくなってて、オンオン言いながら布団にくるまってみんな嫌いしんじゃえっていってるんだよ。

 

びっくりするわほんま。人生でそんなこともう何回繰り返してきたか。信じられんくらいに毎回すっぽりと足りないものが何なのかわからなくなるまで戻るのはなぜなのか。人生はエンドレスエイトなのか?だったら早くキョン君助けて。

 

自らを肯定していないわけではないんだろうけど、自分のもつ尺度、とくにそれが自分を含むものについてはかるときに使用されるときは、完全に毎日目盛りがブレブレだし、その精度をとても信じられないので、非常に厳しい。常に周りからの評価をきっと公正なものなんだろうと信じることで、自己肯定感の種にしている。満足感は、他人に肯定されたこと、に対して生まれるものになっている。

 

すると、最も簡単で、最大手の輸入先は恋人になるでしょう。私はそれがものすごく嫌だった。自分の生活を保つための道具のようにしているような気がしたし、自分が相手を好いているという気持ちが俗物的なものに成り下がるような気がした。相手のために何かしてもそれは全部結局自分のためじゃん、と思った。開き直ればそれまでで解決なんだが、そういう気分にもなれず。それらが嫌で自己生産を目指した結果失敗して迷走してたんかな。なんかそんなような気がしてきた。

 

自己肯定感を生産できるようになること、自意識芽生えて以来の課題、解決されるときは来るのか。(こい。)

 

これについてはまた今度、ゆっくりまとめてみようと思う。

 

小学校の時の同級生から連絡が来ました

久しぶりにルンルンと記事書こうとしたら、友人のブログが更新されていて歓喜した。趣味は自分語りです。パワーワードだな。

 

今日は三年に一度くらいのビッグイベントがありました。なんと、小学校の同級生からラインが来ました。すごすぎる。

今持ってる連絡先の中で、いついつ同窓会あります(絶対に怖くて行けない)以外で連絡くれる唯一の友達だから、久々に連絡きてめっちゃ嬉しかったね。その人をKくんと以下呼びます。

 

わたしは小学校卒業して地元の中学校には行かなかったので、Kくんとも違う学校だったし、わたしが小学校卒業時点で現代っ子ツールの携帯電話を持ってなかったから六年間音沙汰もなかった。一回だけ道端ですれ違ったけど、話しかけられなかったから奴の記憶からはきえてるものとおもってたけど、高校卒業して浪人生の時にフェイスブックでわたしのことを発見したらしく、その後スタバとか言うおしゃれ空間に呼び出され、インキャワイはとても怖い思いをしながら再会したことが記憶に新しい。でも三年前か。

 

わたしは自分の地元も、地元の人も基本的には好きだけれど、閉鎖的で成長の少ない人々だとも思っているし、自分の記憶が小学校の頃で止まっているからかもしれないが、幼稚な頭の悪い人間が多いように感じてきた。(実際、多くの人はそうだとも思う。)そこから抜け出したくて、いろいろやって最終的には東京に来たけど、やっぱり昔の知り合いから覚えていてもらえるとかなり嬉しいような気持ちになった。

年齢が上がるにつれて、会いましょう会いましょうと言っても実際には億劫になってしまったりすることって多いから、実際に会って喋ってくれた時点で、Kくんに対して、素直な人間なんだなと、好感がもてた。(フラグは立たない)

 

そして、Kくんからまあ三年ぶりに急に元気?とラインが来て、君は元気か?と聞くと元気じゃないよと、失恋したよと言われて、どの世界の人間も、しんどいことがあったら誰かに相談したくなるもんなんだなということがわかった。おんなじなんだなあと。で多分話を聞いてあげるべきだったんだろうけど、相手がわたしの恋人のあることを知りすごい勢いで驚いてきたので何も聞いてはあげられないままに会話は終了した。社会人は早寝早起きだからな。大変だ。

 

でも、その短い会話の中ですっごい驚くべきことがめっちゃあった。あまりにも、わたしに恋人のあることに驚くので、わたしが最近気になっていたことを、聞いてみたわけです。

 

自分の小学生時代を振り返ったとき、いつも、嫌な場所だったような気がしていた。周りの人から敬遠されて、相手にされていないような気がしていた。当時のわたしは文語と口語の区別があまりついていなくて、多分きっとすっごいわかりにくい日本語を話してたんだろうなってことだけははっきり思い出せるんだけど、そのほかのことって、今までしっかり思い出そうとしたことがなかった。

 

つい3週間前くらいに、頑張って小学生の頃のことを思い出してみた。小学生の頃にやってたこと。一番に思い出されるのは、小学校の図書館、あそこの本はすっごい読んだ。その次が地元の図書館、あそこの本もすっごい読んだ。その次に教室、同級生の男子に馬乗りになって遊んだ、申し訳ない。あとは、バレンタイン、渡したかった男の子は一軍男子で気が引けたので手頃な男子にあげるなどした、苦しいな。家の前の公園、男子対女子で戦争ごっことか言って、賞味期限切れのチョコレートを投げつけたら、男子が拾って食べてた(ちなみに女子チームは私と仲の良かった友達の二人しかいなかった)。同じ公園で、6年生の頃、1,2年生と遊んでたら、4年の女子に、そんなちっさい子と遊んで楽しいの?とバカにされた。とりあえず、誰にでも思ったこと全部言って困らせた。算数の時間は誰よりも早く問題がとけた。寄り道してたら母に発見されて道で飛び蹴りをされた。同級生のテレビの話題についていけなかった。

 

とか色々考えてなんとなく、小学生の頃の自分って本当に頭おかしい子供だったんだなと、思った。まあ上に挙げたのを読んでそういう風に結論付くかというとつかないんだけど、その出来事にひっついてくることを全部考えるとそうなるんだよな。

 

それで、話が戻って、今回Kくんからせっかく連絡きたから、小学校の頃の私って圧倒的に頭おかしかったよな?と聞いてみたのです。すると、え?今更?(笑)とっくに気づいてると思ってた、とのお返事。うおーすげえ、やっぱそうやったんか〜〜と衝撃、自分を客観視できるようになるのってすごい。そして次なるKくんの言葉がさらに衝撃。

 

もう成長した?自分だけの世界から抜け出した?(笑)

 

これ怖くないですか、カッコワラついてるけどこの言葉正しく表現されすぎてて本当に驚いた。

 

むしろそう言われて、さっきの自分の記憶読み返すじゃないか、すると、もう見事に基本的に自分がどうしたっていう記憶しかないんだよ。なんなんだよこいつ、まさか小学生の頃からこんなことわかってたわけじゃないよな。と思ってめっちゃ冷や汗かいた。自分だけの世界から抜け出せていますか、その問いに対する答えは限りなくノーに近いであろうことにも気がついてしまって、ますます冷や汗かいた。まあ、抜け出したに決まってらあ、と見栄張った返事をしたけどな。

 

やっぱり自分の本質ってあんまり変わらないし、周りの人に振り返られてそんなにはっきり分かるほど自己中心的なんだなとわかってしまったし、結構ショック。まあそれよりも、小学生当時知性のかけらもなくクソうぜえやつだったKくんがそんなこと言えるようになるくらい成長していたことの方が感動したけど。

 

まだまだ変えるべきところってたくさんあるんだな。変えたい変えたくないに関わらず。

 

今日の記事めっちゃ長い。

 

眠れない

正しくは眠れないのではなく、眠くなって、お布団に入って、意識がなくなるまでの時間に耐えられなくて眠りにつけない。

 

本当にスマホなり本なりを手から落っことして眠る形でしか眠れない。お昼は無限に眠れるのにね。ただ、本を読むには明かりが必要だから、スマホに頼る。切ないし、寝たい。

 

まだ意識がある状態で頭の中を静かに静かに向けて行くことが難しい。静かになるといつもの避けたい思考が最後にのこる。寒気がして、暴れ出したくなる。耐えられなくなって無理やりスマホゲームをする。繰り返し。