新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

笑う理由

 

先の記事は、思わしくない日に、サイコーに元気だった日々を思い出してつなぎ合わせて記事を書けば、いささかの人生を取り戻せるのではないかと考えての試みだったが、あたりまえに筆が進まなくなり、もちろん私は嘘に耐えられず、途中で書くのをやめ、涙を流して布団にうまることとなった。

 

嘘に関する話をかく。私は嘘が嫌いだ。というか、嘘だ、飛ばれる嘘をつく浅はかなやつが嫌いだ。嘘をつけない人も嫌いだ。話を整理すると、まず、嘘をつかないことは、最も素晴らしいことだ。しかしそれは、真実が素晴らしい場合、そして、相手も同じように嘘をつかないことを信条としている場合に限る。たとえば嘘をつかないことが人を傷つけることになるならば、それは良くない。その場合は、第二の手段として、これが大抵の場合適用されるのだが、嘘をつき、それを相手に悟らせないことだ。

 

わたしは嘘が嫌いだと言ったが、嘘を言わないことはない。むしろ、ほとんど口から出まかせばかりを言ってきた。しかし、バレない努力はそれはそれは丁寧に行ってきたつもりだ。言った時には嘘だったとしても、その後にありとあらゆる手を尽くし、主な手段としては人を導き、わたしの嘘は嘘でなくなってきた。工作がうまくいかなかったとしても、それはそれで良い。わたしはそう言う解釈をした、ただそれだけのことだから。

 

唯一嘘をつかないと決めていることは、人の好き嫌いに関することです。直感的な好き嫌いいがいの気持ちはすべて、環境と状況の干渉、そしてその後の自分の都合のよいように後から見積もられている。

 

ふと笑ってしまう時がある。なんで今笑ったの?と聞かれたらなんでだろうと考える。そして適当に、さっき池の鯉をみたでしょう、それで小学生の頃、鯉の池に軽石を落としたら毎度毎度鯉がそれを食べて、ん?、ちがうなとなって、ぺって吐き出してたことを思い出して笑っていた。と返す。その時、わたしの笑った理由が決まる。