女子院生雑記録

22時ちょうど 東京駅発

大器晩成?もう

そんな人生 もう

ひっくり返せ 今 掴みたい

 

アンジュルムのことを書いた記事を読んだ。書いた人の熱量と、アイドルへの気持ちがあった。私とは違う、アイドルへの気持ちがあった。私はハロオタではないが、まあ、一応のジャニオタとしての気持ちでその記事を読んでいた。その記事を書いた人から、彼女らを自立した女性として認めている気持ちを感じた。可愛いだけじゃなく、それぞれが輝ける方向を探し続け、常に進化し続ける人間の集まり。そのようなものとしてみていることがうかがえた。私は、ただ、アイドルはアイドルたれ、と思っている。アイドルはアイドルをしたくてアイドルをしていてほしいし、まさに、偶像としての役割を果たさんとする人間にのみなってほしい。ただ、可愛さ、格好良さ、のアイコンとして消費させてくれ。そういう気持ちで見ている。人間的な側面や、意思の存在を感じると、なんだか冷めてしまう。消費者に媚びないアイドルは、いらないなあと思ってしまう。消費してやってる、マインドが、そこにあるのかなあと思って、気持ち悪くなってきて、コンサート当たっていたが、ギリギリまで入金を躊躇うなどした。

 

自分の心が歪んでるのかなあと、ふと気がついたこと、もう一つある。憧れの存在、私は何が好きなことを見つけてありえん熱量をつぎ込むことができる才能に憧れやすい。ナルトのロックリーみたいなやつに。努力ができる才能が、努力したいことに出会えた人間が、心から羨ましいと思っている、と考えていた。しかし、どうやらそうでもないらしい。憧れの表現方法として、一般的には、○○さんみたいになりたい!という表現が用いられるが、私はいつも、○○になりたい、と、思う。完成されたものに、なりたいという気持ちしかない。結局自分で努力したいという気持ちがないのか。なんだかとても、むなしくなってしまいましたよ。

でも確かに努力というものがよくわからない。自分が努力したことがあるのかどうかも。努力と思われるようなことをして目的にアプローチしていっても、達成してしまった瞬間、その努力は努力と言えないものに成り下がるように思う。なんだこんなことで、と、思ってしまう。何もかも結局、大したことなく手に入るような、気がしてしまう。手に入ったもので満足して、入らないものには興味がわかない。幸せな人生かもな。