新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

受け入れる痛み

本日、一週間ぶりの在宅勤務を始めたところ、鼻水くしゃみが止まらない。確かに最後に掃除機したの前の前の土曜だよな、、、と反省しきり。大人しく掃除機をかけるところから業務スタートです。

 

今日の議題は、受け入れる痛みについて。と言いつつ、最近人から聞いた話でマトを射たものがあり、共有したいなと言う半分受け売り記事です。

多様性というのが大事だよ。とされる今、それは確かに正しい方向であることは間違いがなくて。一人でする仕事と、複数人でする仕事の場合、一人でした仕事の方が自己評価は高いものが出来上がり、複数人でしたときは自己評価は低くなる。しかし、外部の人にどちらの成果物が良いか、と判断させるとほとんどの場合複数人で仕上げたものを選ぶ、という研究結果があるらしい。(確か出典として本の名前を紹介していましたが、失念。残念。)

 

だけど、そんなにいい効果あるなら多様性を受け入れよう!ってみんなにいうのはまだ早い。もう一つ必ずわかっておかないといけないことがある。

確かに多様性がある方がより良いものが生まれるだろう。でもうみの苦しみはその効果に見合わないほど大きくなるかもしれない。よりたくさんの人が現れて、違った主張をする、それをまとめていくために、正しい方法を取るなら、みんな苦しまないといけない。

 

つまり受け入れることが良いことになるのは、受け入れることに苦しんでも努力する人たちがそこにいるから。そして苦しみは、みんなでわけ合わないといけないのだ。誰かに受け入れてもらったときは、それ相応に自分が苦しんだかな?別の言い方をするならば、受け入れてもらう努力をしたかな?(それは必ずしも自分を変えるという意味ではない、ことにも注意)と自問して。でないと、人を苦しめ流だけの声デカモンスターになってしまいまっせ。(自戒)

 

さらに別の角度の話をすると、今までに勇気を出して自分を出した時、受け入れてもらえなかったことがあったなら、それは自分が相手によっぽど苦しい思いをさせたか(これは自分が悪い可能性あるね)、相手が苦しみに弱いタイプだったか(これは相手が悪い?運が悪い?)。で、重要なことには世の中には苦しみに弱いタイプもまあまあいるので諦めないで、ということです。みんなじゃなくても、一緒に苦しんでくれる人を何人か、まずは見つけよう。