新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

ことばあそび

本当に何かを伝えたいなら、わかりやすい主語と述語が使えればいい。言葉は文明のリキなので、つつがなく機能することが一番大切だと思うよ。誰にでも意味が伝わる主語と述語が用いられていて、かつ主語と述語の結びに整合性があればまず文章は失敗しない。頭から順に考えるからおかしくなる。私は、書いた。をまず書いてからはじめればいい。それから、あと何を入れたら十分かを想像して、修飾語を入れたり、並べ替えたり、入れすぎたら除いたりしていくだけ。

 

私は、書いた。

私は、ブログに書いた。

私は、ブログに今日考えたことを書いた。

私は、今日という日があったことの証拠として、今日考えたことをブログに書いた。

今日があったことを、いつかブログを読み返すことで確認できたら嬉しいから、今日考えたことはブログに書いておいた。

 

こういう訓練するとすぐ素敵な文章は書けるようになるし、ボキャブラリーも増えるし、文の自由度もあがるし、同じ方法で英語も読み書きできるようになるのでおすすめです。ただ英語は圧倒的に触れる数が少ないから、言葉の繋がりを含めた使い方を意識して覚えなければいけないというだけ。

 

ここまでは前に書いて寝てた分の記事で、言葉繋がりで今日もう一個言いたいことが出たのでそれをまとめて出す。

 

Twitterは、日に日に地獄に近づいていて、今日見てしまった意味のわからない議論は、知人の婚姻相手にどのような呼称を使うべきか。というものでした。なんでもええやろ以外の感情がない、、、。

使っちゃいけない言葉、死ね、と人に言ってはいけないよ。これは道徳的な教育だと思う。けど、使うべき言葉、というのは個人あるいは特定の集団内でしか機能しないものだと思う。業界用語などはその最たる例だし、もっと広く見てみれば手紙で使うべき言葉は会話では使わないだろう。

新しい言葉ができてそれが便利に使われることはとても素敵だと思う(し、私も自分語をかなりたくさん使っている)けど、私がわかってほしいのは、それを使うか使わないか、アップデートするか否かは個人で決めることができるのが当然だよ、ということです。

たとえば結婚相手のことをパートナーと呼ぶことが一般になってきたとしても、奥さんという呼称を使う人を否定してはいけない。当然、奥さんという言葉自体も。奥さんという言葉が本当に役割を果たさなくなって、何を指すのかがわからなくなってしまったら、その言葉を使われると確かに迷惑。でも、奥さんという言葉が女性配偶者と=で結びつけられている間は、「女性配偶者はいつも家の奥の方にいるから奥さんと呼ばれるようになった」というその言葉の成り立ちによって、奥さんという言葉を使う人を謗ってはいけない、と思う。性善説で行った方が人生ハピやから。