女子院生雑記録

22時ちょうど 東京駅発

4月終わる!大人

 

ブログを始めてから、三回目の自己紹介記事になる。わたしは女子大を卒業して、他大学の大学院へ進学し修士1年になった。ので、ブログのタイトルも、女子院生雑記録に改める運びとする。

 

今年度の目標はいっぱい決めた。いくつか、今思い出せるものを書いておこうと思う。

・早寝早起き

残念ながらこれは今まさに破られている。

・悲しみの交差点を越える

去年は宇宙一悲しいことがあったので、今年はその悲しさを超越する。

・愛になる

優しい気持ちで人に接する、くらいことを考えても言わない、攻撃的なことを言わない。

・勝つ

勝負があればかならず勝つ。

 

 

大学院生になったからと言って何も変わらない。そう思っていた気持ちが半分、いやわたしは永遠に進化しているよ、というきもちが半分、で始まった3月末からのわたしの暮らしだが、今は永遠に進化9.5割。あとの.5は寝ればおきない自分の性質。それだけは変われない。体力がないんですか?

 

昨年度、ついにわたしはかつてなかったほどに化粧、自分のビジュアルについて興味を持ち始め、これも精神の成長か?と自分に期待していた向きがあったのだが、残念ながら(?)、新学期が始まって、「やるべきこと」、つまり勉強だけど、がたくさん現れた瞬間自分の見た目への関心は0へ。結局昨年度がよほど暇だったのだな、という結論になった。

 

コロナで引きこもっていて、内に落ちる以外の方法で自分に刺激を与えることができていないので、ブログに書きたいようなことがポンポン出てこない。でも、今がきっとそういう時期だと信じているので、インプットにインプットを重ねて最強になる準備してます。若干のハイです。

 

ふとした時に今年25歳になることに思い至って、あと5年で30歳になって。でも私は今もごくごく自然な気持ちで大人になったら〜したい!というような思考を持っていて。これが世の中の仕組みなんだな〜としみじみするのです。20歳の時に成人式に出なかったから、ちゃんとオフィシャルに大人認定してもらえてないのがいけないのかね。とか言ってると本当に恐ろしい人間になってしまうので、何かしらの手を打ちたいとおもいます。いい歳なんだからって言ってくる親のありがたみ感じて。

 

あと変わったことは、エレファントカシマシが好きになった。めちゃいいでほんま。

 

 

散会

 

みんな出発しました。

大学の同期が、どこどこに就職しました。わたしはみんなより1年遅れている。高校の同級生が○○しました。(○○=結婚就職etc)高校の同期からは2年遅れている。遅れていること自体はどうでも良いが、ただでさえ縁の薄い大学の同期、もう縁の薄くなった(薄くした)高校同期、みんな遠くに行く。みんなみんな、離れ離れになってもう2度とすれ違わないかもしれない。遠くに行ったひとたちに、世界を見る。○○ちゃんが、アメリカに行ったとなれば、アメリカが、リアルになる。中国に行ったと聞けば、中国もリアルになる。散り散りに頑張る人たちを通して世界がリアルになる。グローバルってそういうことだよな、と思ってる。

どんどん、リアルを広げていく。わたしも誰かの、リアルを広げる。そのために頑張っていく。

 

いつか

 

わたしのおばあちゃんは、わたしが高校生の時から(8年間だったか?)老人ホームに入っていて、そのおばあちゃんがどうも長くないと言われ、5月末わたしは大阪へ帰省していた。

 

大阪に帰って、次の日におばあちゃんのところへ行った。施設の人が、今日は意識ありますよと、調子いいですよと、教えてくれたので、期待して部屋に入ったが、おばあちゃんは酸素の管を鼻につけて、酸素濃度、心電図をとられていて、私の方をチラッと見た目は左目が濁っていた。去年の夏、来たときにもすでにあまり話ができなかったが、その日は、もう笑ったりすることさえなかった。左足がとても冷たくて、手も体も薄くて、笑わないおばあちゃんは、おばあちゃんと思えなかった。私のおばあちゃんは、爪が紅くて、唇が紅くて、いつもカチューシャをつけて、笑う太い指で私を抱きしめて、よく喋る。話しかけても言葉を返してくれないおばあちゃんに、なにを言えばいいかわからず、とりあえず、今のおばあちゃんのことを記憶に残そうと思って、顔を触ったり体を触ったり、手を握ったり形を確かめる私と、おばあちゃん、○○で××で〜と、話かける妹が対照的であった。私は、妹は介護の才能があるなあと思ったりしていた。はっきり言って私はもう怖かった。おばあちゃんに聞きたいことは苦しいことや痛いことはないかということだけで、もうはやく楽になればいいとだけ思っていた。毎晩血圧が200まで上がり、生死の境をうろうろしていると聞いていたから。

 

早々に帰ったわたしが、次におばあちゃんの家に行こうと母に誘われたのは2日後の土曜日で、あまり気乗りがしなくて断った。その日の夜におばあちゃんがもう本当にダメかもしれないと連絡が来て、父が原付で先に行った。私たちはタクシーで向かった。ついたときにはおばあちゃんはもう亡くなっていて、父の言った、手にぎっどった時に魂が抜けてってしもたわ、という言葉にそっか、と思った。死んでしまったおばあちゃんの口が開いてしまうのを、母がずっと押さえて閉めてあげていた。わたしは死んでしまったおばあちゃんはもう、仕方ないので、顔を忘れないようにしっかり見て部屋を出た。父のイトコを中心とした親戚が10人ばかりも集まって来ていて、東京から来た珍しいわたしに絡んでくるのではやく帰りたかった。母とわたしはずっと2人でスマホをポチポチ式場を探していた。

 

おばあちゃんはしんだ、それはもう仕方のないことで、悲しいは悲しいけれど、悲しいだけ。それよりも雑務が多すぎて、辟易とする気持ちが大きかった。おばあちゃんの兄弟は5人いて、もう最後1人だけになってしまったおばさんが、どういう気持ちなのかが気になった。自分は妹より先に死にたいなと思った。おばあちゃんを骨にする前に、写真を撮った。口紅を塗って、死化粧したおばあちゃんはわたしの知ってるおばあちゃんの顔になっていたので、ちょっと泣きかけた。

 

新たな恐怖が生まれた。おばあちゃんがしんだから、当然次は親なのだ。母方の祖父母はまだ元気だから、この恐怖もまだ影を潜めているが、いざ彼らが亡くなったときには、果たしてわたしは怖さに耐えられるだろうか。母が亡くなって、父が亡くなって、私たちが死んで、世界が終わる恐怖がくる。はやく、はやく子供を産まないと、と思った。赤ちゃんを連れて来たいとこのことが、心の芯から妬ましかった。

 

おばあちゃんの荷物を整理して、可愛い服と可愛いカップをもらった。わたしが昔に書いた絵が少し出て来たので回収した。どんな手紙にもいつも、またご飯食べにいこうね、買い物しようね、と書いていたわたしに比べて妹が敬老の日に書いた手紙が優しすぎた。いつかおばあちゃんがとしをとってしんでも、わたしのことをわすれないでね。なんて優しい言葉を7歳かそこらの子供がかくのかと、この言葉を思い出すたびに泣いている、今も。

 

その妹は今年社会人になった。おばあちゃんのお葬式の終わっておちついた5月30日、妹の初任給で明るく道頓堀のすしざんまいに行った。みんな、時の流れを感じたとおもうよ。

 

人に好かれること

好きって言われたこと、ずっと覚えてる

 

これは夢の話。もう、20年まえになりそうな(!?まじか)小学生の頃、おんなじマンションに住んでた男の子が私を好きだと言った。小学校2年生まで私は元気だった。髪の毛を2つに結って、それなりにかわいい服とかも着て、やっぱり小3でメガネをかけ始めてから一気に陰キャが加速した気がするな今思うと。周りがどうこうではなくて自分が嫌やと思ってたんやな。それ以上に、大人の真似をする子供が多すぎる学校だったというのもある。別の話なのでしないけど、とにかく私のことを好きだという人は、いままで少しはいた。

そして、もう忘れていた小学生の頃のその告白相手が、突然大人の姿で夢に出てきた。夢の中で私たちは恋人で、当たり前に相手は私を好きなのだった。

 

それで頭に述べたことに話が帰る。好きっていう言葉は残る。誰に言われたか、全部覚えている。言われた人、場面、全部覚えている。恐ろしいくらいにはっきりと覚えている。何かの会話の途中であなたの☆○なところが好き、こういうフランクな好きでさえ、いくつかはストックされている。いろんなことを忘れていると感じていたけど、素敵なものを少なくとも1つは覚えてる事が、ちょっとよかった。

 

ママになったら子供に好きと言いましょう。

 

世界を革命する力を

 

一昨日くらいから、radikoのアプリを入れて、ラジオを聴き始めた。寝る前に、目を使わなくても余計なことを考えずに済むのでよい。ラジオ番組欄を見ながら、昔スクールオブロックを聴いていた時代のことを思い出していた。中学生の時とか、10時にはお布団に入ってたんですよ。明日からそうするかね。

 

テレビをザッピングしたり、ラジオを回しながら聞いたり、家で人と人が話してるのを聞いたり、自分のものじゃない雑誌を読んだり、人が好きな曲を聞いたり、することってすごく重要なことであると近頃はわかっている。自分で選ぶ以外の方法で、ランダムにインプットを自分に与える事、人と交わる事でアップデートされる価値観が必要なのです。

でもランダムに与えるのって大人になればなるほど難しい、学校もないし、多分会社は学校よりも人間関係が希薄でしょう。無理にみんなで仲良くする必要はないから、結局自分で選んだことになるし。何でもかんでも自分で決めること、人生に関わることならばそれは自分で決めんとおさまり悪いけど、自分を客観的に見て成長を続けたいとおもう、豊かな心を見つけたいとおもうなら、人と摩擦することが不可欠なのでは?とおもう。

 

それで、人と摩擦する人になるために何が必要かと聞かれると、基本的に愛。いろんなものを見て否定から入らないこと、否定されることを恐れないこと、あの人にもきっとあの人の事情があるのだよと想像すること、誰にも怒らないこと、怒っても次の日にはそんなことないよなって思い返すこと。愛がないとあかんすよ。怒ってる人をみて、そんな怒らんでも、とおもうこと、人に悪口を言われたら、あらこいつはわたしが前に他の人に言ってたこととおんなじかも、これからやめよう、とおもうこと。ひとりの世界を守ること。仕方のないことが多いことをわかること。努力できない人を応援すること、頑張って無理だった人に休憩させること、深く知ること。自分がまだまだな人間だと認めること、もっとより良くなれる方法の存在を信じて努力すること。弱い人に優しくすること。自分が強い人だと思わないこと。自分に幸運があったとおもうこと。そしたら誰にあっても、嫌だと思っても、やりすごせるし、後から思い出して違う形で出力できる。これが受け身の愛、愛のvol2。卵の殻をやぶらねば、生まれずに死んでゆく。