女子大生雑記録

22時ちょうど東京駅発

2回目のわたし

自己紹介記事です、昨年のものは、過去記事の海にぽちゃんとプールしました。それか、消してしまったかもしれない。

 

現在は、都内大学にて一浪一留4年生(二回目)をしています。昨年は卒業研究履修の資格がなかったので、今年から卒業研究やってます。有機合成をしているのですが、ちょっと気持ちが滅入っています。気が短い人間には手間がかかりすぎるのと、モノを作っただけでは達成感を得にくい人間なのとで、焦るばかりなので、本や論文を読んでなんとか正気を保っています。研究室にパソコンを持っていき、自宅がザコになってしまったので、おニューのタブレットを買いました。じきに紹介します(ダイレクトマーケティング)。

 

今は北海道大学に逃げたいです。とても面白そうなことをいろいろやっているので。

 

北海道の涼しい夏の日差しを浴びたいなあと、そんなことばかりを考えています。

 

一番に大切な友達へ

いつかこのブログを訪れた時に、読んでほしい。

 

たいそうな理由をつけたけど、本当は私はただ怖かった。だんだん病気がひどくなるのを、見て、感じているのが怖かった。彼女が帰ってくれば良くなるのかなって、まさに一縷の望みがあったけど、それが実際そうなのか、私には確かめるすべが無くなるから、絶対に遠くに行かせたくなかった。遠くに行かないって、私に向かって言った本人が遠くに行くための無心をしてきた時点でもう、本当にごめんなさい、信じられなくなったのです。

 

あなたは恨んだかもしれないけれど、間に合ううちに実家に連絡すればよかったと、数え切れないくらい後悔しました。私には財力も知識もないので、何もできないし、本当に目の前でどんどんひどくなっていく、しかもそれを自覚しているあなたを見るのが悲しかった。

 

私の心の中では、恋人と、友人は明確な区別がついていて、それがあなたを苦しめたこともよくわかってた。あなたとは、楽しいことだけ共有したかった。争ったり、醜い面を見せたくなかった。ただ前みたいに、くだらないことで一晩中笑える日が来てほしい。恋人を捨てなかった私が、あなたが恋人と何処かに行ったとして、何も言える義理はないのだが。

 

私に、幸せになってなと、言ってくれたので、私は幸せになる。あなたが自分のことを諦めたように、いつも言ったのが悲しかった。でもそれが彼女への愛だとわかったので、誰にも責められない。人は誰も誰かの唯一にならなくちゃいけなくて、頑張るものやと思うねん。あなたののぞむ唯一になれなくてごめん。でも私の一番大切な友達なのは本当なのでほんとにほんとにわかってほしい。

 

いつか、また会える時まで元気でいてほしい。陳腐だが、確実な方法として、私はいつでも待っているから。

 

自分から会いにいくこと、怖がっててごめん。

 

 

 

 

おこらないで

いつも、おこらないでください、と思いながら生きている。嘘、結構誇張がある。いつも思っているわけではないが、自分が相手と違う意見を言えば、怒られるんじゃないかと、不安に思わないことはない。とくに友人に対してそんなことを感じることはないが、恋人に対して強く思う。でも私は頑張っていた。嫌なことがあったら言ってと言われていたので、頑張って怖かったけど、嫌なところを指摘してきた。でも言えばいうほど相手は、はいはいと、まるで相手にしていないかのように、私1人が怒ってるような風に振る舞うのだ。なぜ?とずっと、相手にされていないのだと、悲しんでいた、実家での母親の姿に自分を重ね、暗い気持ちになったりしていた。

だが先日、素晴らしいことがあった。私が、相手の嫌なところを言うとき、いつも、怒りに任せて言い放った。何でこれこれこんなことする?お前は私に嫌われたいのか?もうわかれます。だいきらいです。私は相手の嫌なところを言っているつもりだった。どうして怒らずに言えないの?怒る前に先に言えばいい、と言われた。私はそんなやり方を、知らなかったことに気がついた。嫌なところを言ってねと言われても、相手の嫌なところを指摘する方法は怒り、泣き、半狂乱になって、裏切られた気持ちに浸りながら、相手にされた嫌なことを列挙し、罵る。これだと思っていた。まさに母が私に何度もしたこと。何か言えば、そんなふうに返ってきた。それが、相手への気持ちの伝え方だと思っていた。

ほんとうにわからなかった、嫌なところがあったら言ってね、が普通の会話の中で、当たり前のように、こう言うことされると嫌なのと、伝えることを指していると言うことが、わかっていなくて、だってそんなやり方知らんもん、と、エンエンオンオン泣いてしまった。

 

まだかなり難しいが、気になったことはすぐ聞く、間違っていると思えば教える、嫌なことがあれば時間が経ってしまってもその日のうちに言う、やって欲しくないことは事前に伝える。と言うことをかなりがんばっている。ダメなところがひとつ減ったよ。

 

あなたは改心したねと、褒められた。

 

洗濯子

 

漢字の変換具合で洗濯物をよく回す100均とかに売ってる絡まり防止ゴムボールみたいになった。

 

本当は選択肢のことやけどタイトルとしてあまりにダサいので手を加えました。

 

今日は4度目のマジラブキングダムへの入国をしました。みなさん、マジラブキングダムは本当に素晴らしいです。もう、完全に貫禄ある素晴らしいアイドルになった一十木音也くんを見て、私は今日もまたブチ上がり、今ブチ下がっている。いや、下がってはいない、が、内に入り込んでいる。

 

最近また嫌だなあとおもうことがある。格闘技を見る機会が増えたのだが、どうにもこうにもリング上の闘いと平日の暴力の境目が曖昧な観客、選手、コーチ、などなどの気配を感じ取ってしまう瞬間があり、とても厳しい。マイクパフォーマンスにおいても、その知能の低さが露見してしまう瞬間を見逃すことができない。テレビプログラムの構成が憎い、喧嘩で負けたことない○○が参戦、、、世界一頭の悪いキャッチコピーでしょう。喧嘩が平日にある日常を感じさせないでくれ。

 

小さい頃、親に何度も言われた、将来やりたいことができたときに、選べることが増えるように、勉強をたくさんして、できるだけレベルの高い人間が集まるところへ行きなさい、というような趣旨のことを。確かに間違ってないと思う。私はアイドルになりたい子供に育たなかった、スポーツの何か選手になりたいとも思わなかった、パン屋さんや、ケーキ屋さんや、何かの職人さんやら、になりたいとも思わないし、お金持ちになりたいとも思わない、宇宙飛行士になりたいと思った時はあったけど、職業宇宙飛行士というよりは、宇宙に行ってみたいだけだとおもう。果たしてこれは、選択の結果なのだろうか。日常的に、自然科学に関わることを摂取させられ続けた結果なのではないのかな?との疑いを持ち始めている。私と同じように育てられた年子の妹は同じような進路をとってはいないのでなんとも言えないが、小さい頃の私、そもそも何になりたいとか、なかった。今は、あるのかないのかわからない。ただ、選択したつもりで進んでくれば、つぎは、大学院へ行くということになりそうだ。試験に受かれば。空手をしていたとき、同級生の女の子は、空手をするために、高校を選んだ、私は中学の途中でやめた、彼女こそが、真の選択者なのでは?とおもうのだ。なんでも選べるようにと育てられ、なんでも選べるような気持ちになっていても、選びとりたい先が私にはいつまでたっても見つかっていないような気が、する。

 

こうやって言い訳めいたことを捻くり出しているのは、今週末が院試だからだ。一ヶ月あまり勉強してきて、どうにも不安なのだ。いつも、不安なことが迫ってくると、それが失敗した時のダメージを受けないように、否定される前に自分で先につまずく。転ぶ前に、キョロキョロして、いざ転べば、私が不注意だったから転んで当然だよねという顔をする、自分が悪かった、といえる原因を用意しておく、理不尽な悲しみにこころ握られないように、丁寧に下処理をする、勢い余って、目的自体を投げ出す、今回はそんなことしたくないですね。

 

 

 

大器晩成?もう

そんな人生 もう

ひっくり返せ 今 掴みたい

 

アンジュルムのことを書いた記事を読んだ。書いた人の熱量と、アイドルへの気持ちがあった。私とは違う、アイドルへの気持ちがあった。私はハロオタではないが、まあ、一応のジャニオタとしての気持ちでその記事を読んでいた。その記事を書いた人から、彼女らを自立した女性として認めている気持ちを感じた。可愛いだけじゃなく、それぞれが輝ける方向を探し続け、常に進化し続ける人間の集まり。そのようなものとしてみていることがうかがえた。私は、ただ、アイドルはアイドルたれ、と思っている。アイドルはアイドルをしたくてアイドルをしていてほしいし、まさに、偶像としての役割を果たさんとする人間にのみなってほしい。ただ、可愛さ、格好良さ、のアイコンとして消費させてくれ。そういう気持ちで見ている。人間的な側面や、意思の存在を感じると、なんだか冷めてしまう。消費者に媚びないアイドルは、いらないなあと思ってしまう。消費してやってる、マインドが、そこにあるのかなあと思って、気持ち悪くなってきて、コンサート当たっていたが、ギリギリまで入金を躊躇うなどした。

 

自分の心が歪んでるのかなあと、ふと気がついたこと、もう一つある。憧れの存在、私は何が好きなことを見つけてありえん熱量をつぎ込むことができる才能に憧れやすい。ナルトのロックリーみたいなやつに。努力ができる才能が、努力したいことに出会えた人間が、心から羨ましいと思っている、と考えていた。しかし、どうやらそうでもないらしい。憧れの表現方法として、一般的には、○○さんみたいになりたい!という表現が用いられるが、私はいつも、○○になりたい、と、思う。完成されたものに、なりたいという気持ちしかない。結局自分で努力したいという気持ちがないのか。なんだかとても、むなしくなってしまいましたよ。

でも確かに努力というものがよくわからない。自分が努力したことがあるのかどうかも。努力と思われるようなことをして目的にアプローチしていっても、達成してしまった瞬間、その努力は努力と言えないものに成り下がるように思う。なんだこんなことで、と、思ってしまう。何もかも結局、大したことなく手に入るような、気がしてしまう。手に入ったもので満足して、入らないものには興味がわかない。幸せな人生かもな。