女子大生雑記録

ここは、ほんとの部屋

すぐに忘れてしまうので

 

メモのようにブログをつかうことになった。

今日は起きた瞬間から、子供を育てていた。実際には子供はいないので昔の自分を多分横に置いてそれについて色々に考えて遊んでいた。世の中にはロクでもないくそガキがわんさかといる。私の地元は特にくそガキが多かったと思う。今もポンポンとくそガキが産み落とされている頃だとおもう。悲しいね。

 

以前の恋人と話したことがある。私は子供を産むとしたら必ず、勉強をさせて賢い私立に入れて実際に優秀な大学に入れなければならないとおもっている、それができない環境下で子供は絶対に産まない、と。当然の疑問だろうと言う声音で、相手は、子供が勉強好きじゃなかったらどうするん?と聞いた。子供なんか勉強さしとったら勉強好きなんねんと、私は答えた。そうかなあ、もしサッカーの才能あったらどうするん?と聞かれた。サッカー好きでも最低限の勉強をさせることは少なくとも小学生のうちは親の責任だろうと、返事をしたはずだ。そうかなあと、また彼は答えたかもしれない、もう忘れてしまった。

 

小学生のころから、わたしは賢かった。体育以外の教科で中学卒業まで1番いい成績しかとったことがなかった。みんなわたしのことを頭がいいと言った。では、私と、小学校卒業まで九九が言えなかったWちゃん(私の頭の中で小学生の時のバカのイメージはこの子に集約されている)、何が違う?当たり前に勉強している量が違うだろう。サッカーのうまいやつと下手なやつ、その差が何かと聞かれたら練習量と答えるだろう。それと全くおんなじなのにわかっていない人間が多い。まあ今はそれはどうでもよくて、要するに私は勉強していた。まあしかし、私自身勉強していたと言う自覚はない、多分、本当に頭も良かったので、普通の人が10回やって理解できるかどうかのことを、2回ほどで理解できていたのだと思う。それでも、毎日計算カード、宿題、余分の勉強、くらいはやっていた。対するWちゃんはどうだろう。そこまで仲良くなかったが、一時期共通の友人を通して親しくした頃もあり、数回その共通の友人Cちゃんの家で三人で遊んだことがあった。CちゃんとWちゃんは同じアパートに住んでいた。Wちゃんの家は昼間は家の人が寝ているとかなんとかであげてもらえなかった。Cちゃんの家は多分生活保護世帯だった。お母さんは家にずっといた。家に猫が3匹くらいいて、いつも真っ暗で、三人で一台のゲームボーイアドバンスで遊んだ。近くに(ルンペンのいない)公園もないので駄菓子屋に行くくらいしか後はすることがなかった。家に本や問題集は当然なくて、成人マンガかあった。綺麗なノートさえなくて、絵もチラシの裏や、壁に描いた。CちゃんとWちゃんのランドセルは逆さまになって玄関に置かれていた。私には、我が家とは違うことがはっきりとわかった。私はいつも5時に帰ったが、Wちゃんはその後もずっと、ずっとCちゃんの家にいたみたいだった。ある日そのアパートで殺人事件が起きた。Wちゃんの向かいの家の人がケンカをして刺されたと言う。血の跡がすごかったとWちゃんは学校で得意げに話した。事情聴取などで数日彼女らは学校を休みそのまま、もともと学校を休みがちだったCちゃんは、学校に来なくなった。相変わらずWちゃんは宿題もしてこないし、とうとう6年生の時も九九を言えなかった。そりゃそうだろうと思う。親も誰も宿題をやれとも言わない、家に入れない、誰も何も教えてくれないのに子供が自分から勉強するなんてほとんど不可能だ。彼女だけが特別なわけじゃなくて、51人いた同級生のうち、どれだけ少なめに見ても30人は程度の差こそあれ親に勉強を見てもらってなんていなかっただろう。本当にかわいそうだと思う。

 

勉強が全てだと思っているわけではない。勉強できなければterribleな人生を送ることになるという気持ちなわけでもない、むしろ何もわからない方が幸せだろうと、羨ましく思う日もある。でもバカに対して辟易する日の方が圧倒的に多い。まともに大人になっていない大人を見てしんどい気持ちになることが多いし、そういう風に育てられた人々を哀れに思う。本当にそういう意味ではうちの親は偉かったと思う。勉強していれば選択肢が増えるということを教えてくれたから。それだけを唱えられて子供の頃は育ってきた。今その通りだとおもう。確実に親よりも多くの選択肢が私には「見えている」といえる。それは、今までたくさんの情報に触れて正しく処理してきたから。どれだけ、学歴偏重がダメだとか、云々ぬかしても、自分が国会議員になって法律を変えるとか、インフルエンサーになって人々の意識を変えるとかそういうつもりがないのであればそれに従うしかないのだから、子供に勉強をさせるというのは必要不可欠な親の義務である。それをいつまでさせるかというのはまた別の問題になる。

 

ちなみに今の彼氏はこんな難解な話は理解できないだろう。

 

思い通りに 枠組み

やってしまったな、と。ああ、この深さの話は他人にとっては日常の会話に含まれないものだったはず、わたしもそれを知っていたはず、なのに。ということが、しばしばあるなあと思い出した。なぜなら、昨日バイト先のおばさんたちに女子会に誘われたからだ。行きます〜〜といったものの、既に憂鬱、まあまだ決行の日は決まっていないようすだ。

 

ふと思ったのだが、わたしはバイト先にての人間関係について特に悩んだことがない。バイトを辞めまくった過去があるが、それは全て業務内容がむりだった、という理由で、人間関係でムリ〜〜と思って辞めたことはない。すっごく仲の良い友人でさえ憎むことのあるわたしが、初対面の人間は全員敵だと思っているわたしが、なぜいつも、人間関係に悩まない、どころか、ハブられることもなく、自ら人に話しかけ、友好的な笑顔を見せることができるのか。おまい、そんなに出来た人間なのか〜〜?利害関係がもたらす結果なん?あたいってそんな打算的?多少以上にはそれもあるだろう。

 

このようなことを昨晩から考えていた。

 

今朝も起き抜けから世界を呪い殺し、コエカタマリンみたいにストレスの文字が身体にのしかかっていた。ずいぶんと荒々しく布団から出たものだ。ストレスをなくすためには、自分のしたいことをするのが良い、というのが定説である(、とおもっている)ので、わたしは、編み物ゲームお絵描き読書、電車移動思考訓練運動などなどできるだけたくさん自分の好きなことを生み出そうと日々努力している。だけど、本当に自分のしたいようにするというのはできない。本当にしたいようにしていいなら、日常的にわたしと関わる全ての人のことをコントロールしたいと思う。それが難しかったら毎日会う人、親、ぐらいはコントロールしたい。宅急便の届く時間も、1分とは言わない、10分単位で把握したい。同居人が起きる時間、寝る時間、出かける時間、明日会う友達が到着する時間、解散する時間、使うお金の概算、行く場所、など全てを大まかにでも構わない、把握したい。思うように誘導することも多い。自分が主体の約束は面倒にならないのも、2,3人で遊ぶのが好きなのも、全てこのためだと思う。そう考えると、全てのつじつまが合う。突発的な行動をする人間にイライラする、計画なく他人と行動することを不快だと思う、子供を産むことが、尋常でないほどの恐怖の対象であること。実験が嫌いなこと、料理が好きで、編み物が好きなこと。ダイヤ通りに走る電車が好きなこと。歌が好きなこと。次にこうなると、わかっているものが好きなのだ。どうなるかわからないのは、本の中と自分だけで十分。

 

バイト先でのわたしのにこやかな態度も頷けるだろう。バイト先の同僚、最初からその枠に入れられているとわかっているのだ。ただバイトの同僚、距離を測る必要もない。お早うございます、おつかれさまです。ただそれだけ。

 

 

あかぎれ

 

わたしは5歳年下の妹がいる。そして彼女は今日センター試験を受けている。今朝になって初めて、妹が経験する社会的事柄は全て、わたしが五年前に経験した、経験するはずだったものなんだな、ということがよくわかった。だからといってどうということもないが。

 

最近、頭(ここでは自分の体の中で、ここで思考をしています、と自分が考えている場所)がはるかに飛んでいってしまい、落ち着く場所もない、というような感覚になることが多かった。そして、これも今朝になって初めてわかったことなのだが、わたしは既に自分自身であることを、自分で認めることができないようだ。よくいう、自分の人生を歩いていない、という状態は他己主体の人生を指すというように認識しているので、そういうわけではないとは明言しておく。自分のことに関心が持てないというのが近いのかもしれない、全てのことが、自分に関わりうる存在として知覚できない、という感じか?喜怒哀楽の恩恵を正しく受けなくなったのか。楽しいなあと思っていても次の瞬間には素知らぬ顔。はっきりといえば、楽しいと思っている自分自体が遠くにいる。あ〜〜お前楽しんだな、よかったやん、と思う自分が外部にいる。そしてその外部が主体である。ほとんど2人いるのではないかと思ったりするときもある。一週間前心の美しさを感じ涙した言葉を、今週またかけられて、その白々しさに怒りがわいた。それは、同じ手法を2度用いたことに対して白々しさを感じたのではない、言葉自体に、そのような言葉を用いる人格自体に自己陶酔を見た。

 

関係ないが、薬を摂取するのが下手だ。1日3回飲むなんて到底むり、お薬をもらったのに治らない小指、左の手のひら、足の親指、唇の傷。

 

 

 

行ってません

成人式行ってません、という記事です。

 

そう、わたしは確かに成人式に行っていない。あの年の1月の第1月曜日、大学一年生後期で月曜日に実験はなかった。だが教務日程的には登校日でした。当時わたしは板橋区民で、なんの関わりもない板橋区役所から成人式のお知らせが来たのが気に食わなかったし、地元は地名を言えば顔をしかめられるような地域であったし、親には実験あるからと嘘をつき(丁寧に大学の悪口まで添えて)、成人式には出なかった。

 

今思えば、行けばよかったかもしれない(かもしれない)。わたしはもう、9時からのドラマ、テレビゲーム、高校留年、中退、20歳の出産がマジョリティでない世界を知っているから。お前らがマジョリティではないということを、知っているから、いまは、負けなかったかもしれない。フェイスブックで、金の袴を着て舌を出してピースする幼馴染の写真を思い出して、心がいたい。やはりダメそうです。

 

 

今日も頭が心から離れていくようです。病院に行こうね

 

新大阪駅の思い出

今年は、実家で年を越さなかったので、気持ちだけ大阪に旅行させてみることにしました。気持ちだけのことなので、行きも帰りも新幹線に乗らせてください。新大阪の駅に着いた時、せっかく新幹線できたんやから、帰りはぜったい551のチルドをお土産に買うねんと意気込む。昔は家に車があったし、わたしの日常は天王寺からなんばの間にありましたから、新大阪駅なんか滅多に行くことがなかった。新大阪駅で1番最初の覚えてることは、中学校の修学旅行、東京まで新幹線で行ったんやと思う。その道中の記憶は全くと言っていいほどない、強いていうなら、バスの中からみたマツモトキヨシかなんかのドラッグストアに、日本橋店と書いてあって、東京にも日本橋があるんか!と一大発見をした気持ちになったことだけは覚えている。とにかく、帰ってきた時のことだ。新大阪の駅でクラスの男子?に俺の切符も一緒に買ってって言われたのだ。その記憶だけが残っていて、地下鉄御堂筋線新大阪駅の切符売り場を目にした時に、切符売り場は当時左側にあったのがもう右側に変わっていたのだが、なぜか少してれた。

 

次に思い出したのは、早朝の新大阪駅、スキーに行った2年前の日。友達と初めてスキーに行った。新大阪駅からバスで福井県へ、福井県にも初めて行った。当たり前にはちゃめちゃに楽しかった。

 

そのあとたぶん3回目の新大阪駅。ここはまだわたしの中では大阪ではない。ここから、神戸線にのり、大阪駅環状線に乗り換えるともう、大阪の自分になっている。大阪の自分とは?実家にいた頃の自分だ。肌馴染みがよすぎる。家の戸を開けるときにはもう、5時間前に東京にいたことは本当なのか嘘なのかわからなくなっている。ただいまーの発音が大阪弁になる。恐ろしいことだ。東京の4年間は30分で無かったことに。生まれてから一度もこの家から出たことがなかったんだ、わたしは。東京にいる友達、彼氏、バイト先の人たち、みんな本当に存在しますか?だって、4年前と変わるものはほとんどない。同じマンションに住む、幾人かの子供達以外はみんな。近所のおばあちゃんは、わたしが10の時から近所のおばあちゃんなんやから。

 

わたしはいつになったら1人になれるのか。