新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

くるしい瞬間

くるしい、まで行ければそれは十分だと思う。苦しみを生み出す明らかな対象がいれば、それを攻撃すればいい。くるしい、口ではそう言っていても実際にはそこまでくるしくもない。なんとなく気にくわない、何かがいやだ、文句を言いたい。

DFTの本を写経していたら不意に頭に浮かぶ、何をやっているんだ自分は、という気持ち。自分は何をしたくてこれをやっているんだ。確かに、DFTの勉強が今楽しい。でもなんのためにやっているわけでもない。ただ、自分の中に知識を詰めていくことが心を落ち着かせるために必要だからしているだけのこと。そして近頃は、それも効果が薄くなってきていて、何か自分好みの新しいことを詰めてみても、前よりもずっと詰まらない。思ったふうに詰め込めない。詰め込んだ先を自分が考えていないことに気がついたからなのか。

 

私の中で、生活をすることと、研究をすることは両極にあって、それを両方やろうとしている自分が滑稽に見える。数時間ごとにあっちに向いたりこっちに向いたり。研究は生活の一部ではない。なんだかとても特殊な行為として自分は捉えていて、人生の中にとても組み込めるものじゃない。研究する頭で、旦那と話せない。研究する頭で、ご飯も作れないしお金も稼げない、子供なんかうめない。そんな気持ちが今夜も支配的です。