こんばんは、上京してきたはとこと会って遅くに帰宅したにもかかわらず、明日の弁当を作った自分に多分に満足な私です。
今日はそのはとこと会ったことによって浮かび上がってきた、人間関係の構築に関する私の新たな考察をご紹介します。これは結構新しい、出来立てほやほやの今まで考えたことない方向性で自分的には気持ちいいです。ちなみに私の中で今の流行りは、何事に関しても頭や心が気持ちいいかどうか(スッキリする・整理されるとほぼ同意です、でももっと爽やかなプラスのニュアンスが強い感じで使ってます)で判断することです。
脱線ここまで。
それで、今日の議題は人間関係、その中でもまず一つは家族の定義を今日更新しました。
実際今まで考えてなかったことなので新しいんだけど、「その人の生活に時間・金銭的に責任を持ちたいと思える関係の人間」という定義にしました。
それもそのはとこがきっかけになってて、親戚づきあいからはみ出た立場として、はとこや、その家族にマイナスなイメージがあるわけでもないけど、お誕生日やお正月に集まるような関係をこれから築いていきたいか?と問われるとNOだなって。あちらは、いつでも遊びにきてね、というスタンスです。結婚祝いも渡したいし、ぜひきてねと。
でも私はそれをしたいとは強くは望まない。なんででしょう?
ここで今日の二個目の議題。人間関係において優先順位をつけるのが面倒だし嫌だから。という仮説を立てました。
私の持つ体力および金銭を考慮した人に割ける時間がひと月に10だとして、
・友達1の誘い 消費時間2
・夫の誘い 消費時間5
・妹の誘い 消費時間2
・親戚たちの誘い 消費時間3
・友達2の誘い 消費時間4
これでもう16になってて、どこかを削らなければならない。
そうした時に、まずジャンルわけをする。
A 夫・妹・親戚たち
B 友達1・友達2
こうなると思うのよ大概の場合。その上で、勝利頻度の低い人から、関係維持の必要性が薄れていき、関係がなくなるんだと思う。そこで先に言った家族の定義からすると、今の私にとって、物理的にも精神的にも自分の家族は夫と両親・妹たち・祖父母で終わっているので、親戚たちが勝つタイミングってほぼほぼない。だから関係が欲しくないのだと思う。
だからこの先も広がることはないんだろうなというのが今日の時点での結びです。
でも幼少期の私を可愛がってくれたことへの感謝はあるので、どういう関係略語が当てはまるのかわからないけど、おばあちゃんの妹にはGW前に会いに行こうかなと少し思いました。