新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

つわり。赤ちゃん産みますまだ先だけど

タイトルの通り、赤ちゃんを産みます。結構先です。来年の5月の予定です。無事に産んだらその時にはお祝いお願いします。

 

その前につわりのことを忘れないように記録しておこうと思います。なかなか壮絶だったので、もう記憶から消えかけています。忘れたいけど、忘れないうちに書いておきます。

以下時系列。長め、なんせ三ヶ月分の忘備録なのでごめん。

 

9月中旬、なんか生理来ないな〜と思うけど、元々不順で三ヶ月来ないとかもザラなので、あんまり気にしない。次の週くらいから、明らかに毎日微熱(37度前半代とか)になる。コロナだったら嫌だし、妊娠なら把握したいしで婦人科に行くことを決意(病院嫌い)。次の月曜に予約が取れたので、週末はとりあえず寝て暮らすことにするも、その土日で初めて吐いた。1日に一回くらいかな?多分そんなもん、でもえーこれ妊娠か?妊娠じゃなかったら一週間も微熱続いて吐いてって重大な病気やし妊娠であれ、、、と言う気持ちになってくる。病院に行くと、クスコを膣に突っ込まれエコーの機械をぐりぐりやられて(世界で一番嫌いな時間)最終月経開始日から考えて4週ですね。と言われる。わ〜〜。なんか赤ちゃんに袋のついたエコー画像を見してもらって、赤ちゃんは最初は胎嚢という袋から栄養をもらいますよと教えてもらう。頭の中に生まれたばかりのメダカの稚魚が浮かぶ。その後、里帰り出産する場合はうちの病院では検診をお断りしていますと言われ、また別の産婦人科を受診する羽目に。この時点ではおめでとうとかそういう気分じゃなくて、とりあえず必死に病院探し。近くにあったもう一つの産婦人科に即予約。来週の木曜日。。。。。

 

一回目の病院から帰った後、夫に言って夫はめちゃ喜んでいたような感じがあるけど正直、だるさとかそういう気持ちが勝っててあんま覚えていません。その後、急激につわりがしんどくなっていった。まず、あったかい米が食べられなくなった。食べた後に吐くようになった。朝に受けていた英会話のオンラインクラスで1時間話したあと、朝ごはんをトイレに駆け込んで戻した。議事録担当している会議中、吐き気がきたのでトイレに持ってって吐きながら書いた。それはまだ元気な日の話。1日に二回、三回吐くような生活から3日とたたないうちに、無限トイレ編が始まった。

 

無限トイレ編、それは起きている時間30分に一度トイレへ行き吐くような期間のことを言う。なるべく長く寝るようにしますが、試しに1日を書いてみます。

5:00 吐き気で起床→水を含んで即トイレ

5:30 トイレ、胃液を吐く、起きてきた夫にトイレを譲る

6:00 ヨーグルト食べて即トイレ、トイレから夫に行ってらっしゃいを言う

6:30 トイレ、胃液を吐く

7:00 トイレ、胃液を吐く

7:30 トイレ、胃液も出なくなる、から吐き?みたいになって血管切れそうになる

疲れ果てて一回寝落ち(幸せの時間

16:00 起きる、水を含んで即トイレ

16:30 以下、同じことを繰り返す

19:00 トイレの中で夫にお帰りを言う

19:30 吐きながら夫にキレる、もっと可哀想がれよ、とかいう

20:00 何も出ないのにトイレで吐くまねだけする、これが30分に一回寝るまで続く

23:30 吐きつかれて眠る

 

これが4日続いて、風呂に入ることもできない、タオルで体を拭いてもらって、寝るだけ。会社にも体調悪く休みますと連絡する。課長にだけはつわりですと言う。

やっと病院の予約日になって、タクシーを呼んで行って、ついた瞬間トイレの場所を聞いて吐きにいった。髪もベタベタで、腕も顔も脱水でパリパリで、顔色悪くてフラフラしてたと思う。婦人科の検査のためには基本おしっこが必要なんだけどおしっこも出ないし。なんかもう辛さのピークで、入院できるかもと期待していったのだけど、診察した先生は「今日は初回だから点滴だけ受けてまたきてね。点滴打ったら楽になるっていう人も多いから」とか言ってエコーとって、点滴ベッドへ誘導。「つわりがあるってことは赤ちゃん元気に育っている証拠だからね」とか言われても、「知らんし!こっちは吐いて吐いて辛いねんボケが、男が講釈たれんなや」と思ってました。もうベッドに寝て点滴準備待ちの時からここから家に帰るなんて絶対無理やと思ったので、看護師さんに「入院できませんか、、、」と懇願。看護師さんが先生に聞きにいってくれて入院できることになりました。この時が一番嬉しかったし涙が出た。妊娠してから初めて安心した。やっぱり、妊娠経験した看護師さん、助産師さんって優しんだよ。みんなめっちゃ優しかった。今思い出しても感謝エピいっぱいある。

 

でも入院したとて、つわりは治るわけではなく、無限トイレ編は続いた。でも点滴で栄養と水分を入れてくれるので、とりあえず死ぬ心配はなくなったわけだから。面会禁止だったから、寂しくて、この時に初めて妊娠のことを人に話した。母親と、一部の友達に。そして、1ヶ月ちょい後に計画していた結婚式を取りやめた。。。そして、病院で吐きながら誕生日を迎えた。世界一寂しかったかも。吐き気のない一瞬を狙って、携帯で食べたいものをメモって、つわり終わったら行きたい店を調べた。しんどい時にはテレビを見ようにもテレビって食べ物のテレビが本当に多くってアニメしか見られないからTokyoMXばっかり見てた。後は野球。阪神タイガースに救われたわ。オフシーズンやったら死んでたかも。

 

入院生活は17日間続きました。最後の3日くらいで急激に良くなって、お米以外のものは食べられるようになりました(食べられるようになると、退院OKとなる)。最終的に体重は5kgちょい減りました。

 

退院して、元気溌剌Daysが戻ってくるかと思いきや、そんなことはなかった。ちょっと動いたら疲れて吐く。2,3日吐かない日が続いた後に急に無限トイレ編が2,3日続いたり。一週間のうち半分はまだトイレって言うのが3週間くらい続く。退院して初めてトイレ編きた時は絶望して泣いてしまいました。日本シリーズも6戦目までトイレで吐きながら音聞いてました。勝利の瞬間は元気な日に当たったからめちゃはしゃぎました。結局10月頭から2ヶ月まるまるほぼトイレで過ごしたのでした。11月からはトイレが寒くなってきてさらに辛かった。入院して帰ってきたら冬になっていたから衣替えしないと着る服もなくて、それもほんとに大変だった。

 

今もまだ会社に行っていないけど、そろそろ出社になりそうです。電車にまだ乗ったことがないから、吐き気を誘発するのかわからないけど、なんともないといいな。電車どころか、9月の中旬以降、歩いて15分のスーパーと八百屋以外どこにも行っていないです。

 

今は無限トイレ編は一週間に一日くらいです。(先週はその1日が遊ぶ予定を入れていた日に当たって世界を呪いました。)トイレ編はまた辛いけど、今はお腹がちょっと膨らんでたり、エコーで人間の形が見えていたり、赤ちゃんの存在感が結構出てきているのでその分頑張れるという部分もあります。最初はほんとに妊娠した実感もないままに苦しみと不安だけがやってきていたのがしんどかった。

 

妊婦&妊婦だったみんなは、つわりのことを覚えていない、記憶から消した人が多いようだけど、私の記憶からも消えかけています。多分忘れないとね、2人目とか産もうと思えないからそういう仕組みになっているんだと思うよ。初めて無限トイレ編に入った時に最初に私が思ったことは「絶対に二人目とか産めないな」だったし、今でも結構そう思ってる。赤ちゃんを産んだら、喜びの感情で上書きされるのかもしれないけど、なんかもう辛すぎて、世の母親のことを永遠に尊敬していた。

 

なんか色々恐ろしいことを書いたけど、妊娠悪阻(つわりがひどくなって入院する時の病名)になる妊婦さんは全妊娠の0.5%らしいので、結構なかなかな方なんだと思います。でも普通に考えて1日一回吐くとかだけでもやってられんので、もしパートナーが妊娠したら、ありえんねぎらって全てを自分がやってあげてください。

 

つわりの話は終わりで今度は会社の話を書こうと思います。