新卒女雑記録

22時ちょうど 東京発

進路相談

今日は将来について、今考えている話を書いておく。

 

修士入学段階で、意気揚々と博士進学を宣言した私。もちろん研究は楽しいと思える部分も大きい。ので、このまま博士に進学する、大いにありだなあと思う。博士に進学するかどうかをうんうんと悩んでいるのはなんでかというと理由はあげるならば三個。経済的負担、自分のやりたいこととの一致具合、気持ちの焦りの三本だてだ。

 

一個目の経済的負担がある、これはまあ深刻だけど、自分の中では重要度は一番低い問題で、貧乏は慣れなので貧乏らしく暮らせば誰の世話にならずとも食っていけないことはないというのが一つ。あとは、自分の肉体を酷使すれば貧乏を回避できるような方法はいくつか思いつく。

二つ目のやりたいことは飛ばして、三つ目に書いた気持ちの焦り、これは一過性のもので、具体的な方向性を持っている意見ではありません。ただ、同期がみんな就職してしまうので、えーんっていう気持ちになっているだけです。(でもこの気持ちが非常に重要なものだったりすることもある。)

二つ目、に戻って。自分のやりたいこととの一致具合、これが今一番重要な問題です。もちろん、研究もやりたい。でも研究はあまりにも”やりたいベース”であって、私が”人生を賭してやるべきお仕事”ではないなあという実感が、修士一年を終えた私の手の内にあまりにもはっきりとある。じゃあ私のしたいお仕事って何?それは最近わかってきたことで、初等教育の向上つまり、経済格差や地域間格差初等教育に与えるよくない影響をなるべき小さくしたいなあと、しかもそれになるべく直接的に貢献したいなあ。と思っている。だけどなんのお仕事をしたらいいのかはわからない。研究もはんぱのまま手放してはいけないような気がする。でも今は焦っているので、とりあえず週末就活生になりました。受けたいとこだけ、受けてみる。

 

社会への興味を持ち始めた人間なので、積み立てNISAを始めるしふるさと納税を済ませました。進路相談乗ってください。

 

 

ことばあそび

本当に何かを伝えたいなら、わかりやすい主語と述語が使えればいい。言葉は文明のリキなので、つつがなく機能することが一番大切だと思うよ。誰にでも意味が伝わる主語と述語が用いられていて、かつ主語と述語の結びに整合性があればまず文章は失敗しない。頭から順に考えるからおかしくなる。私は、書いた。をまず書いてからはじめればいい。それから、あと何を入れたら十分かを想像して、修飾語を入れたり、並べ替えたり、入れすぎたら除いたりしていくだけ。

 

私は、書いた。

私は、ブログに書いた。

私は、ブログに今日考えたことを書いた。

私は、今日という日があったことの証拠として、今日考えたことをブログに書いた。

今日があったことを、いつかブログを読み返すことで確認できたら嬉しいから、今日考えたことはブログに書いておいた。

 

こういう訓練するとすぐ素敵な文章は書けるようになるし、ボキャブラリーも増えるし、文の自由度もあがるし、同じ方法で英語も読み書きできるようになるのでおすすめです。ただ英語は圧倒的に触れる数が少ないから、言葉の繋がりを含めた使い方を意識して覚えなければいけないというだけ。

 

ここまでは前に書いて寝てた分の記事で、言葉繋がりで今日もう一個言いたいことが出たのでそれをまとめて出す。

 

Twitterは、日に日に地獄に近づいていて、今日見てしまった意味のわからない議論は、知人の婚姻相手にどのような呼称を使うべきか。というものでした。なんでもええやろ以外の感情がない、、、。

使っちゃいけない言葉、死ね、と人に言ってはいけないよ。これは道徳的な教育だと思う。けど、使うべき言葉、というのは個人あるいは特定の集団内でしか機能しないものだと思う。業界用語などはその最たる例だし、もっと広く見てみれば手紙で使うべき言葉は会話では使わないだろう。

新しい言葉ができてそれが便利に使われることはとても素敵だと思う(し、私も自分語をかなりたくさん使っている)けど、私がわかってほしいのは、それを使うか使わないか、アップデートするか否かは個人で決めることができるのが当然だよ、ということです。

たとえば結婚相手のことをパートナーと呼ぶことが一般になってきたとしても、奥さんという呼称を使う人を否定してはいけない。当然、奥さんという言葉自体も。奥さんという言葉が本当に役割を果たさなくなって、何を指すのかがわからなくなってしまったら、その言葉を使われると確かに迷惑。でも、奥さんという言葉が女性配偶者と=で結びつけられている間は、「女性配偶者はいつも家の奥の方にいるから奥さんと呼ばれるようになった」というその言葉の成り立ちによって、奥さんという言葉を使う人を謗ってはいけない、と思う。性善説で行った方が人生ハピやから。

 

家庭教師するのがしんどい

今、受け持っている6年生の女の子がいる。

 

世田谷区の立派な一軒家に住み、両親と姉に愛され、年に何度も旅行へ行き、わがままで、行きたい学校があって、塾に通っている。でも塾での勉強が全くわからないから、私に白羽の矢がたつ。

でも正直何も教えられない。100×を丁寧に筆算で0を並べ書きしたり、帯分数を仮分数になおせないし、何回も自分の0と6を見間違える子供に私ができることはあるか?ほんとに算数できるようになりたいならまず100マス計算からやってほしい。そして国語の勉強をしてほしい。問題を見て、言ってる意味がわからないって言われたらもう何も言えない。自分げ受験したいと言って親がお金を出して、勉強させてくれているのに、勉強する意味がないとか言わないでほしいし、うっせえわを歌わないでほしい。うっせえわと言われている対象はあなただよ。と言いたくなるので辞めてほしい。

 

最近カテキョに行くのに頭も体も重い。結構辛いのが、子供がおかーさんこの問題解けるの?と聞いた時に解けるわけないじゃん。と平気で返すお母さん。それってきっと良くないよ。一緒に考えてあげるべき、無責任なことを言わないでください。

色んなものに興味持て

いろんなものを見て自分の好きなものが初めてわかる、というのは正しいと思う。好きなものを何回も見たり、聞いたり読んだりするのが好きだけど、なんでもないものを適当に数こなすこともよくやる。音楽のサブスクで、知らない声に疲れてきた頃に、突然流れてくる小倉唯に耳、脳までもがピギャるのがはっきりわかる。そういう瞬間が結構好きなので、良くも悪くもセンサーにかからないものを摂取するのを意識している。

 

とはいうものの、最近はモーニング娘。をずっと見てしまっていて、特に15期加入メンバーの3人、岡村ほまれ(ほまたん)、山崎愛生(めいちゃん)、北川莉央(おんちゃん)にどハマりしています。そしてさらにさらにほまたん、めいちゃんの二人を本当に推しています。なぜおんちゃんにセンサーが来ないのかを考えたら、やっぱり、女感の多少が影響していると思います。ほまめいは、女の子!でおんちゃんは女性という感じがします。私は女の子!なアイドルが好きなようです。小田さくらさんがブログに書いていたように、女性であること、を武器にしているアイドルを見て悲しい気持ちになってしまうからです。(本人にそんなつもりがなくても、そう受け取る隙を与えてしまい、結果そう受け取られたりしているから)

 

モーニング娘。のメンバーに対して忌避のような感情を抱いてしまうことが悲しいですが、でもアイドルってなんなんだろう、って最近よく考える。小田さくらさんは、歌を武器にしたアイドルであるモーニング娘。に憧れて入ってきたわけだけど、純に歌を武器にしたいならどうして歌手を目指さなかったのか?気になります。

 

色々書いたけど、

「人間関係 No way way」と「LOVEペディア」は名曲なので聴いてください。なるべく続けて聞くことをおすすめします!そしてLOVEペディアのPVで主人公格の3人が15期メンバーです。お願いします!

 

小さなことからコツコツと

小さい頃から何度も聞いた、体に染み付いたリズム、西川きよし師匠のお言葉。でもなーんにも、この言葉を理解していなかったなと思う。

何か素敵なことをしたい。私の中でのこの素敵なこと、はもうすでに固まってきているので、何かしないといけない。いつも大きいことをしたいと思っていたりもする。子供の頃、夢はなんですかと聞かれる。学振の書類を作成する、今も聞かれる。じゃあ何が変わったの?具体的なことを答えなきゃいけない。今までずっと突き抜けたゴールだけを見て、途中の方法を考えないで、あるいは超短期的な目標だけを見てやってきたけれど、できることからやらないと本当に何もできるようにならない。わたしにはその、中間がない。

だからやっぱりわたしは今まで頑張ったことがないと思ってきたけれどその認識は誤ってなかったと思う。何か大きいことをしたい、その気持ちだけがはやるので、3月は生活リズムを正して体力を作って、4月からコツコツとはじめられるように余裕を貯金していくことにする。(できるんか?)